――そして46歳のときに子宮全摘手術を受けられた。
古村 「広汎子宮全摘出術」という5時間におよぶ手術で、子宮を全摘しました。幸い転移もなく、それ以上治療する必要はなくなったので「経過観察」となり、手術から5年経って再発がなければ寛解の可能性があると言われました。

――5年の間、再発しないことを祈るばかりですよね。
古村 手術後、定期検診は受けていましたが何事もなく、ちょうど5年後の17年3月も最後の定期検診のつもりで病院に行きました。私のなかでは主治医と「お疲れ様でした!」と労い合う予定だったんですよ。でもいつもの検診を受けて、診察室に入ったら「再発の疑いがあります」と言われました。そのとき私は51歳。「まさか」と、頭の中が真っ白になりました。
――「これで治った」と思った矢先に……。
古村 「5年」と言われたちょうど5年後ですからね、ショックでした。治療が必要ということで、放射線治療と抗がん剤治療を受けました。副作用の出かたは人によるんですが、私はダメでしたね。吐き気がひどくて、治療が始まって3日目はベッドから起き上がれなくて、放射線治療を受けられませんでした。吐き気で食べられなかったので、1カ月半の集中治療の間に体重が5キロダウン、精神的にもダメージが大きかったです。
「がんが全身に回っているので『完治は難しい』と告げられました」
――予後はいかがでしたか。
古村 治療の3カ月後ぐらいにCTを撮ったらがんは見つからず、無事「効いた」ということでした。主治医から「寛解ですね」という言葉をもらったときは、もう嬉しくて嬉しくて。
でもその3カ月後、17年11月の定期検診で今度は肺・リンパ節などへの転移が見つかったんです。これは前回以上に落ち込みました。この再々発の時点で、すでにがんが全身に回っているので「完治は難しい」とも告げられました。

――「治った」と思ったら再発、「治った」と思ったら再々発というのが、本当に辛いですよね。いったい何度苦しめるんだと。
古村 もう、ジェットコースターですよね。子宮頸がんの場合、進行再発がんになっていくと投与できる薬がどんどん限られていくんです。そんななか、先生から提案があったのが臨床試験への参加でした。
これまでの治療法と、まだ承認されていない治療法を比べながら行なっていく「ランダム化比較試験」という試験に参加することにしました。「私にはまだ受けられる治療があるんだ」と、前向きに受け止めて。18年1月から19年1月までの1年間、抗がん剤治療を受けたところでがんの兆候がなくなり、経過観察ということに。19年の2月に治療を中断しました。「完治はしない」と言われていたので、経過観察になったことだけでもすごく嬉しかったです。
〈「ダメな母さんでもいていいんだな」子宮頸がん闘病生活を送る古村比呂(59)が救われた3人の息子の“意外な一言”とは「母さん案外…」〉へ続く

2025.08.13(水)
文=佐野華英