A.ランゲ&ゾーネ 小説家が耽溺する物語る時計

「マイ・ファースト・ウォッチ」 文・吉田修一
新作1815を目にした途端、遠い記憶が蘇った。
故郷長崎のアーケードにある老舗の時計店だった。大きな店ではなかったが、ショーケースには輝くような腕時計がずらりと並んでいた。
もう何日も学校帰りにこの店に通っていた。生まれて初めての自分の腕時計を選んでいるこの少年を、店主も、三度目、四度目の来店となると、もう声もかけずに放っておいてくれた。
もう四十年も前のことである。
少年は来春、高校生になる。父親が彼に腕時計を買ってくれる。
一度目、彼は父親と一緒に来店した。
デジタルがいいのか、アナログがいいのか。ベルトは革がいいのか、ゴムか、金属か。ゴツいフォルムがいいのか、繊細な形がいいのか。そして何より予算はいくらか。
少年は、それまで腕時計に興味がなかった。腕時計というよりも、きっと時間に興味がなかった。だからこそ、少年だったのである。しかしそのせいで自分がどんな腕時計をほしいのかが皆目検討がつかなかった。
デジタルとアナログとを並べてみる。革ベルトと金属ベルトに触れてみる。ゴツいフォルムを左腕に、繊細な方を右腕に巻く。
「早う、決めろ」
せっかちな父はすでに焦れている。
少年はそれでもショーケースの端から端まで、一本ずつを見ていく。見れば見るほど、決められなくなる。見れば見るほど、一本一本がまったく違って見えてくる。
待ちくたびれて先に帰ると言い出した父に、「どれでもよかと?」と、少年は尋ねた。
「ああ、どれでも好きなもんば買え」
父はそう気前よく言いはしたが、
「おじさん、あんまり高かもんは隠しとってよ」
と、店主に笑いかけながら出て行った。
父が店を出て行き、別の客が来店しても、少年はショーケースの腕時計を見続けた。立ったり、しゃがんだり、上から眺めたり、横から眺めたり。
結局その日は決められず、「明日また来ます」と店を出た。夜、その事を父に話すと、心底呆れられた。
「お前も男のくせにグズグズ選ぶなぁ」
四十年前の九州では正論である。
翌日、約束通りに時計店に行った。候補を数本に絞ってきたつもりだったが、他のものを見ると、また心が揺れた。
しばらくショーケースを眺めていると、いよいよ自分が何を選んでいるのか分からなくなった。探しているのはもちろん腕時計なのだが、何か別のものを探しているように思えたのだ。当時、それが何なのか分からなかった。だが、四十年経った今、彼が何を探していたのかがなんとなく分かる。
少年は来春から高校生になる。生まれて初めての腕時計。きっと少年は、初めて「自分の時間」というものを手にしようとしていたのだ。
新作1815は、あのとき少年が買った腕時計にどこか似ていた。
もちろん比べようもないほど安価なものだったが、少年はずっと大切にして、四十年経った今も仕事机の引き出しにある。
静謐な佇まいに秘められた伝説
ドイツの時計産業の礎を築いた「A.ランゲ&ゾーネ」。“究極のクワイエットラグジュアリー”ともいえる、端正でエレガントな作品の背景にはドラマティックな物語がある。創始者のフェルディナント・アドルフ・ランゲが腕を磨いたのは「最高のものでなければ良品ではない」としたザクセン王室。宮廷時計師の弟子として修行し、1845年に現在工房のあるグラスヒュッテの土地に「ランゲ工房」を設立した。世界最高の時計を目指して切磋琢磨し続ける彼の姿勢と極上の仕上がりは国際的に評価され、やがて各国元首がランゲ工房の懐中時計を特別な贈り物として選ぶようになった。さらに、彼の息子たちも工房の名を広める功績を立てる。リヒャルト・ランゲは27件もの特許を取得。もうひとりの息子であるエミール・ランゲは、1900年のパリ万博に「百年紀記念トゥールビヨン」を出品し、世界的名声を得るとともに、フランスの勲章レジョンドヌール騎士十字章を受ける栄誉に浴した。ところが一転して、第二次世界大戦で悲劇に見舞われる。1945年、終戦前夜に空襲で本社社屋が全焼。会社の再建を試みるも、1948年に東ドイツ政府に接収され、ブランドが消失したのだ。ブランドが40年以上にわたる眠りから覚めるきっかけとなったのは1989年のベルリンの壁崩壊。工房設立から145年後の1990年に、創始者のひ孫であるウォルター・ランゲが復興を遂げたのである。ゼロからの復興。「再びドイツ・ザクセンで世界最高の時計を制作したいという思いだけだった」とウォルターは語っている。2年後には、今ではブランドを象徴する「アウトサイズデイト」の特許を申請し、1994年に復興第一弾コレクションを発表。以来、変わることなく「完璧な時計」を追い求め、世界最高峰のマニュファクチュールの一つとして認められている。“人生ほど面白い物語はない”ともいわれるが、こんな雄大な歴史から生まれる時計である点も、A.ランゲ&ゾーネが稀代の物書きたちをも魅了する理由かもしれない。
吉田修一(よしだ・しゅういち)
作家。長崎県生まれ。1997年に『最後の息子』で文學界新人賞受賞。2002年に『パレード』で山本周五郎賞、『パーク・ライフ』で芥川賞、07年に『悪人』で毎日出版文化賞、大佛次郎賞、10年に『横道世之介』で柴田錬三郎賞、19年に『国宝』で芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞を受賞。16年より芥川賞選考委員。
A.ランゲ&ゾーネ
フリーダイヤル 0120-23-1845

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2025.09.29(月)
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