祖父は三國連太郎、父は佐藤浩市という名優一家で生まれ育った寛一郎さん。俳優として歩み始めて8年が経つなか、ご自身のこれまでとこれからをどのように考えているのでしょうか。俳優になった経緯や、芝居に対する想いも伺いました。

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特殊な家庭を嫌だと感じたことはなかった

――名優一家に生まれ育った寛一郎さんは、ご自身の環境をネガティブにとらえたことはありましたか。

 僕は、何かにカテゴライズされるのが好きではないので、「三國連太郎の孫」「佐藤浩市の息子」と言われるのは、正直、苦手でした。

 ただ、よく知らない人から祖父や父のことを言われるのが苦手だっただけで、自分の家が特殊な家庭だということ自体を、嫌だと感じたことはありません。むしろ、普通とは違うことはオリジナリティだととらえ、自分の個性や強みだと思っていました。

――俳優になろうと思ったのはなぜですか。

 思春期の終わりとともに、自分の感情に素直に向き合えるようになったからです(笑)。

 高校卒業後、自分が将来何をして生きていくのかが見えなくて、悩んだ時期がありました。ぼんやりと将来のことを考えながら、「自分はこの先何をして生きていきたいのか」と自問自答すると、やっぱり子どもの頃から連れられて見てきた映画の撮影現場が浮かんできたんです。

 父の顔を見たくなくて、わざと家に帰らないようにしていた時期もありましたが、結局、父や祖父と同じ俳優になりたい、という自分自身の強い欲求に従い、俳優を目指しました。

――寛一郎さんが俳優を目指したのは、おじいさま、お父さまの影響が大きいのですね。

 いい意味でも悪い意味でも大きな影響を受けていることは確かです。

 でも、僕は17~18歳くらいまでは「俳優には絶対にならない」と言っていたんです。もちろん、父や祖父に対しては尊敬の念を抱いていましたし、かっこいいと憧れていました。

 幼い頃から撮影現場に連れて行ってもらい、「俳優」というのがどういう仕事なのかもおぼろげながら理解しているつもりでしたが、あまりにもまわりから「将来は俳優になるんでしょ」と言われ続けたので、「そんなつもりはないです」、と言っていたんです。

 俳優がもっと世襲的な業界だったら、そんな天邪鬼な態度は取らず、当たり前に俳優を目指していたのかもしれません。

次のページ 基本的にはダメ人間です(笑)