菊池寛も予想していなかったこと
――そうなんですね。
門井:現実はその逆になりましたけどね。
――年に2回選考会があり、長年続いてきた賞が今年該当作なしということで、待ち望んでいた皆さんにとっては衝撃がありました。菊池寛はどう考えると思いますか。
門井:うーん……、昭和10年にやり始めた当初は、まだ当然、そこまで注目されている賞ではなく、ただ単に文藝春秋という一私企業がやってるお祭りに過ぎないんだ、という風に周りの人は見てたと思うんですね。
――なるほど。
門井:菊池寛も最初は、自分がこんなに一生懸命芥川賞・直木賞をやって、受賞者が出て、頭を低くしてお辞儀をして「来てください」って言っているのに新聞社も取材に来ない、と怒ってるんですよね。
――菊池寛は両賞ともに選考委員を自らかって出て、それはもうウキウキと選んでいたという逸話があります。
門井:そうですね。今は芥川賞と直木賞って綺麗に選考委員の顔ぶれは分かれてますけれど、当時は両方を兼任している人が何人かいたんです。おそらく選考会も別の日に行っていたのだと思いますが。日程を調整して選考委員の先生方に来てくれとお願いをして、そこまでやっても、取材に来てもらえなかったっていうのが出発点ですね。

――今か今かと選考結果が出るのを待つ状況は、菊池寛から見たら奇跡といいますか。
門井:そう思います。菊池寛も予想してなかったんじゃないかな。おそらく、戦後、昭和31年に石原慎太郎さんが非常に若くして芥川賞を取ったことが一つの契機になっていて、そこから今日見るようなジャーナリズムの注目を浴びるような賞になったと思います。
――両賞は毎回必ず出ていたのでしょうか。
門井:石原慎太郎以前にはわりと頻繁に「受賞作なし」がありました。両賞とも受賞作なしは少なかったかもしれませんが、片方が出ないとか、2年連続で出ないこともあったと思います。
――そんなにためらいなく、受賞作が無い年もあるだろう、というぐらいの心持ちだったんですかね。
門井:そう思います。もともと芥川賞も直木賞も、今はちょっとニュアンスが違いますけど、当時は完全な新人賞でして、本当に有望な若手を押し出してあげよう、という賞でしたから。菊池寛としては、若い君たちはお金もないだろうから、賞金と時計という形でお小遣いをあげるよ、といった感じもあったんだと思うんです。なので、受賞作がないとしても、今回はお小遣いをあげる相手がいないわ、ぐらいのことだったかもしれません。
2025.08.21(木)
文=門井慶喜