芥川龍之介との親愛
――『文豪、社長になる』を読みながら、芥川龍之介と菊池寛の関係性って、こんなに深かったんだと改めて思いました。やっぱり菊池寛という人にとって特別な存在だったことは間違いないだろうなと感じました。
門井:そうですね。まず知り合ったのが一高時代ですから、芥川龍之介の方が直木三十五よりはるかに古い友達なわけですね。ただ、高校生の頃はあまり深い付き合いではなかったらしいのですが、そのあとお互いに大学に行きます。芥川は東大、菊池寛は京大に行くんですけれど。
で、それからまた菊池寛が東京に帰ってきて就職した時に、もう芥川龍之介の方は花形作家なんですね。もう菊池寛よりも一歩も二歩も先を行っちゃってるわけです。菊池寛には、それに対するジェラシーもあったろうし、焦りもあったろうと思います。
そういった時に、芥川龍之介の方が手を差し伸べてくれるんです。俺はもう文壇の伝手があるから、お前に雑誌の編集者を紹介してあげるよ、というような形だったんだと思うんですけれども、そういうのを足がかりにして菊池寛は文壇にデビューすることができたので、芥川には、本来頭が上がらない。芥川は恩人である。これがまず基本にあるんだと思うんですね。
――芥川龍之介の方もなにがしかの親愛と言いますか、友情を超えた信頼感を感じていたことが窺えるエピソードが本の中にも出てきます。
門井:そうなんです。なんと言っても芥川龍之介は、長男に「ひろし」と名前をつけてるんですね。

――菊池寛の本名「寛」から。
門井:菊池寛の本名は菊池寛(ひろし)と言うんですけれど、その名前をそっくり、漢字だけ変えて「芥川比呂志(ひろし)」と子供につけた。もう明らかに友情の印であると。
この子供が生まれる頃には、2人の経済力や知名度は逆転してるんです。菊池寛は芥川の推挙によって、文壇に色々なつながりができたんですけれど、なんといっても東京日日新聞で書いた『真珠夫人』が大ヒットをして、一躍流行作家の仲間入りをするわけですね。その時に芥川龍之介に子供ができて「ひろし」という名前をつけたということですから、この辺でちょっと2人の関係性は変わっているということですね。
――一方で、菊池寛という人にとって、文学的な意味で芥川龍之介に対する眼差しは最後まで強くあったのではないでしょうか。門井さんとしては、どんな経緯で、賞に芥川という名前を冠したと思われますか。

門井:僕の感触なんですけれど、昭和10年時点でおそらく菊池は、芥川龍之介と直木三十五を並べた時に、後世まで読まれるのは直木の方だと思ったはずなんです。
なぜかと言うと、当時は社会主義の勃興時代でして、ロシア革命が起きてすでにソ連ができている時代ですから、ゆくゆくは日本でも社会革命が起きるか、社会革命が起きないまでも大衆が天下を取る時代になるのが歴史的必然だと、菊池寛は思っていました。
そうなった時に、典型的なブルジョア小説、小金持ちの小説である芥川の小説が読まれるわけがない、大衆作家の直木だよ、という風に思ってたんだろうと。逆に言うと、直木はともかく、芥川は今ここで俺が賞の名前にでもしてあげなきゃ、もう永遠に残らないと危惧してたんだと思います。
2025.08.21(木)
文=門井慶喜