国民的アニメ、『ゲゲゲの鬼太郎』が、この夏、再び舞台となって帰ってくる(『舞台 ゲゲゲの鬼太郎2025』8月2日~16日東京・明治座、8月21日~25日大阪・新歌舞伎座)。『ブラック・ジャック』のタイトル・ロールや『ルパン三世』の次元大介など、数々の名作で知られる声優・大塚明夫が演じるのは、「ねずみ男」。亡父・大塚周夫がかつてアニメで演じた役でもある。父とは異なり生身のねずみ男として舞台に立つことへの思いを語ってもらった。

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どこにも帰属できない、その自由さと孤独がねずみ男の魅力
50年以上にわたり、アニメや映画で世代を超えて親しまれてきた水木しげるの世界。その魅力をどう感じているのだろうか。
大塚明夫(以下、大塚) やっぱりその独特な世界観だと思います。鬼太郎は、人間の味方をするわけでも、かといって必ず妖怪の味方をするわけでもない。その時々の柔軟な判断で動きますよね。そういう立ち位置が、日本の風土に合っているのではと思うんです。日本では、台所にもトイレにも神様がいるっていう、八百万の神という考え方がありますよね。それだけ神様がいるってことは、神様じゃないものもいっぱいいるんだろうなって思える。だから日本人は、妖怪を受け入れやすいんじゃないかと。

自身は「そういう怪異なものに全く遭遇したことがないから、体験してみたいし、見たことがないからこそ逆に惹かれますね」と笑う。そんな水木作品の中でも、『ゲゲゲの鬼太郎』は特別だが、中でも今回演じる「ねずみ男」は、「トップクラスに好きなキャラクター」。
大塚 ねずみ男にはアイデンティティがない。妖怪の世界に行けば『お前なんか妖怪じゃない』と言われ、人間の世界に行けば『人間じゃない』と爪弾きにされる。どこにも帰属できないんです。だから何の責任も負わないし、自分のしたいように生きる。それって、とてつもない自由さであると同時に、とてつもない孤独と背中合わせなんですよね。とっても魅力的だと思います。
嫌われ者の内には、どこにも属せない者の深い孤独が横たわっている。その複雑なキャラクター像に強く惹きつけられるという。
2025.08.15(金)
文=週刊文春CINEMAオンライン編集部