米津玄師プロデュース曲「パプリカ」のロングヒットで国民的アーティストとなった「Foorin」。

 解散から3年、18歳になった「たける」こと楢原嵩琉が「あの頃」の思い出や新作映画『カミノフデ~怪獣たちのいる島~』について語ってくれました。


●楽しみながら活動しようと決めた「Foorin」

――幼い頃からダンスを学ばれていた楢原さんですが、当時の夢は?

 兄がやっていたこともあって、4~5歳のくらいからダンススクールに通い始めたんです。そして、小学生になったタイミングでバレエを習い始めたのですが、明確に「将来ダンサーになりたい」と思ったことは一度もありません。幼稚園に入った頃はカエルになりたいと言っていたようですし(笑)、その後は宇宙飛行士に憧れていました。

――芸能界入りのきっかけ、そして、米津玄師さんプロデュースによる音楽ユニット「Foorin」メンバーになるきっかけは?

 ダンススクールがきっかけで、ミュージカルやストレートプレイにも出演することになり、気付いた頃には事務所に所属し、TVなどで映像のお芝居をするようになっていました。

 そんなときに、「Foorin」のメンバー・オーディションの話を知って、受けることにしました。一度、面接があって、そのときやっていた野球の話をして、次に呼ばれたときには「あなたに決まりました」と伝えられて、驚いたことを覚えています。未だに、なぜ僕が選ばれたのかは分かりません……。

――18年にリリースされた「パプリカ」がヒットし、老若男女に愛される存在として社会現象にもとなります。

 小6でメンバーに選ばれたときは、「NHKさんで作られた応援ソングを歌ってもらいます」ぐらいしか伝えられなくて、メンバーが何人なのか分からなければ、どれぐらい活動するのかも知らなかったんです。だから、今までと同じお仕事のひとつと捉えていましたし、その後に社会現象になっていくなんて、想像もつきませんでした。

 ただ、気持ちのどこかで、元気な子どもらしさみたいなものが求められていると思っていて、メンバー最年長ということは置いといて、とにかく楽しみながら活動しようと決めていました。

2024.07.26(金)
文=くれい響
撮影=平松市聖