「お仕事は何をやられているんですか?」「こちらレシートになります」。オリジナリティあふれる敬語は、敬意の“ちょうどいい盛り具合”を模索した結果!? センスに満ちた異端の敬語は、あのインド映画の中にあった!?
気鋭の言語学者・川添愛さんが日常に飛び交う会話を様々な角度から分析し、「言葉のセンス」を探求する言語学エッセイ連載第3回です!
今までにもいろいろなところで言っているが、言語学者は専門外の人々から「言葉に厳しい人」と思われがちだ。もちろん中にはそういう人もいるだろうが、私はそれほど厳しくない方だ。そもそも自分の言葉づかいがゆるゆるなので、他人に厳しくなどできない。むしろ、言葉に厳しい人のことは苦手である。
言葉に厳しい人が目くじらを立てそうな言葉づかいを、あえて選択することもある。たとえば、「後で後悔する」とか、「だいたい三十センチぐらい」といった言い回しは頻繁に使っている。後悔は後でするものなのでわざわざ「後で」を付けなくてもいいし、「だいたい」が付いているところに「くらい」を足す必要もない。頭では分かっていても、いざとなると「後で」や「くらい」を足したくなる。
正しいかどうかが不明な敬語も使うことがある。中でも私が頻繁に使うのは「~ますでしょうか」である。「ご都合の良い日時をお知らせいただけますでしょうか」や「お時間ございますでしょうか」といった文をメールでよく書いている。ネットで見かけるビジネスマナーの記事の中には、そういった表現について「二重敬語だから使わない方がいい」と主張するものもある。そういうのを読んでいる人からは「この人、言語学者のくせに敬語の使い方がなってないな」と思われているかもしれない。
社会人としては、たとえ自分の中では違和感がなくても、相手に違和感を持たれる可能性のある表現は避けるのが正解だと思う。なのにどうして「~ますでしょうか」を使うのかというと、そう書かないと敬意が "十分に盛れていない" 気がしてしまうからだ。
私だってほぼ毎回、「お知らせいただけますか」「お時間ございますか」などと書いてみてはいる。でも、いざ送信しようとすると不安になる。相手から「偉そうだ」とか「圧が強い」などと思われないだろうか。いや、私が受け取る側だったら、「いただけますか」「ございますか」で十分だし、敬意が足りないとも思わない。でも、もし相手がそう感じたら? そういう逡巡の末、相手に「言語学者のくせに敬語の使い方を知らないやつ」と思われるか、「敬意の足りない偉そうなやつ」と思われるかの二択になり、前者を選んでいるわけだ。
こういった「どれくらいの敬意を盛るのが適切か」「この表現を使うことで、どれくらいの敬意を盛れるのか」という感覚には個人差や世代差がある。よく「お仕事は何をやられているんですか?」とか「こちらレシートになります」といった表現に対して「違和感がある」と言う人もいるが、発する人の中には「何をしているんですか?」や「レシートです」では敬意が足りず、かといって「何をなさっているんですか?」とか「レシートでございます」だと盛りすぎな感じがして、ちょうどいい盛り具合を模索した結果、「やられている」や「なります」を選択している人もいるんじゃないかと思う。
とくに敬語には尊敬語、謙譲語、丁寧語、美化語といった種類があり、それぞれにバリエーションも豊富だ。使えるパーツが多いだけに、誰だって「組み合わせは無限大! 君だけの敬語を作ろう」状態に陥る危険性がある。もっとも、私個人はそういうオリジナリティの高い敬語を観察するのが好きだ。先日も永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』(晶文社)を読んでいたら、永井さんが実際に聞いたという「そのように仰ってらっしゃるのを聞かせていただきました!」とか、「おクーポン」といった敬語が出てきてニヤニヤしてしまった[注1]。永井さんは「過剰敬語とは、言葉の使用法の無知というよりは、不自然さを犠牲にして、相手に誠意を見せようという力業ではないだろうか。こんなにも言葉を痛めつけてまで、わたしはあなたに篤実であるということを伝える行為だ」と書いている[注2]。その洞察にうっとりする。
文=川添 愛 イラスト=Akimi Kawakami
