クロード・モネがこよなく愛し、後半生における創作の豊かな源泉となったジヴェルニーの庭。その姿を再現し、本家に世界で唯一認められた庭が、高知の小さな村で、訪れる者を穏やかに迎えている。
本家「モネの庭」が唯一認める高知の山間の美しい庭園
クロード・モネと聞けば誰もが《睡蓮》を思い浮かべるだろう。モネがこの代表作を描き続けた場所であり、インスピレーションの源泉としてこよなく愛したのが、フランス・ジヴェルニーの庭だ。
1883年、列車から見たジヴェルニーの風景に心奪われたモネは家族を連れてこの地に移住。90年には正式に邸宅と土地を購入し、6人もの腕利きの庭師を雇い入れて造園に情熱を注ぐようになる。広大な果樹園を四季折々の花が彩る「花の庭」に変え、後に買い足した土地には日本風の太鼓橋がかかる池に睡蓮が咲く「水の庭」を造り上げた。
モネが1926年に世を去ると、次第に庭は荒廃していく。しかし70年代に庭園管理責任者となった高名な庭師ジルベール・ヴァエさんが、かつての様子を知る人々の証言と当時の写真や資料からモネが愛した美しい庭を再現。80年にはフランス芸術アカデミーのもと一般公開を果たし、今や年間90万人が足を運ぶ人気スポットとなっている。
時を経た1996年、ヴァエさんのもとを何のつても持たない日本人が訪れてきた。ジヴェルニーから遠く離れた高知県東部の山間の村、北川村の職員だ。
人口1500人ほどの北川村は90年代当時、村おこしのための新規事業を模策。紆余曲折を経てフラワーガーデンの造作という構想に辿り着き、そこから村にジヴェルニーの「モネの庭」を再現するというプロジェクトがスタートしたという。
熱意あるアプローチを重ねるうち、フランス芸術アカデミーも「小さな村の頑張りに協力しましょう」と快諾。ヴァエさんも自ら視察に訪れてアドバイスを行い、北川村は約3年をかけて「モネの庭」を再現する。
太鼓橋がかかる池に睡蓮が咲く「水の庭」、四季折々の色彩が豊かな「花の庭」。いずれもモネの精神をわずかなりとも損なうものではなかった。こうして2000年、世界で唯一本家「モネの庭」が公認する「北川村『モネの庭』マルモッタン」が誕生した。
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