現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。
建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。
そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2015年に『流』で第153回直木三十五賞を受賞した東山彰良さんが長崎県の高後埼灯台を訪れました。
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コロナ禍の忘れ物を受け取りに
おまえの灯火
消えてしまったら
戻る場所なんてどこにもない
彷徨うだけさ
矢沢永吉の「灯台」という曲である。今回の紀行文を書くにあたっていろいろ下調べをしているうちに、たまたま出会った。
ざっくばらんに言って、私はこれまで灯台のことをあまり真剣に考えてこなかった。そのことを恥じちゃいないが、このリレー紀行のコンセプトとして、灯台を褒めちぎることに抵抗があるわけでもない。誰が見ても灯台は立派な仕事をしている。灯台がなければ、船乗りたちは困ってしまう。
しかし、いったい灯台にどんな面白味があるというのか? 初見の灯台でも、私から言葉を引き出してくれるだろうか?
たいていの場合、紀行文を書くのは愉快な経験だ。なにはさておき、紀行文を書くためにはまず旅をせねばならない。家族をきちんと養うことを除けば、人生でいちばん大事なのは旅をすることだ。
この広い世界には我々を魅了してやまない名所や、人知れずうずもれている旧跡がそれこそ星の数ほどもある。そうした場所へ読者のかわりに出かけて行き、ある目的を持って動きまわり、その過程を面白おかしく、かつちょっとした教訓を交えて書く。私にしてみれば、趣味と実益を兼ねたじつにおいしい仕事なのだ。
ただし、いつもおいしいとはかぎらない。とりわけ、思うように旅ができないときには。たとえばコロナ禍のころ、私は東京オリンピック2020の観戦記を新聞に書くことになっていた。
福岡に暮らす私としては、東京へ行ってオリンピックを観るのは、れっきとした旅の範疇である。それはイタリアへ行ってサッカーを観たり、アメリカへ行って大谷翔平を応援したりするのとなんら変わるところはない。
が、試合場に赴いてちゃんと観戦するはずだったのに、コロナのせいで調整を余儀なくされた。試合だって無観客でやるのに、下手に試合場なんかにのこのこ出かけていって集団感染でも引き起こそうものなら、それこそ袋叩きにあうご時世だった。
そこで新聞社の採った苦肉の策が、テレビ観戦に切り替えることだった。オリンピックをテレビで観て観戦記を書く? そりゃ書けと言われれば書きますけど、そんなのはストリートビューを見て紀行文を書くようなものじゃないか!
あのときよりはうんと状況がいい。なにしろ今回はちゃんと旅ができるわけだし、それに私が灯台について真剣に考えたことがないと言うとき、それはカーブミラーとか庭に敷く玉砂利について真剣に考えたことがないと言うのと変わらない。案ずるより産むが易しだ。すべての旅がそうであるように、実際に行ってみれば、なにかしら開眼させられることはきっとある。
