この記事の連載

 現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。

 建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。

 そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2003年に『星々の舟』で第129回直木三十五賞を受賞した村山由佳さんが千葉県の野島埼灯台を訪れました。

安倍龍太郎さんの“灯台巡り”の旅、全6回の第1回を読む
阿部智里さんの“灯台巡り”の旅、全3回の第1回を読む
門井慶喜さんの“灯台巡り”の旅、全3回の第1回を読む
川越宗一さんの“灯台巡り”の旅、全3回の第1回を読む
澤田瞳子さんの“灯台巡り”の旅、全3回の第1回を読む
永井紗耶子さんの“灯台巡り”の旅、全3回の第1回を読む


千葉県の野島埼灯台へ

〈灯台を訪ねてみませんか〉

 複数の作家が、日本全国さまざまな土地の灯台を訪れて紀行文を書くというこのプロジェクトの中で、千葉県・房総半島に立つ三つの灯台をめぐる旅がどうして村山由佳のところに回ってきたかといえば、それはやはりかつて私がここに住んでいたからなのだろう。物書きとしてデビューする直前の一九九三年春から、直木賞受賞の数年後にすべてを置いて出奔するまでのほぼ十四年間を、私は南房総の鴨川(かもがわ)で暮らしていた。

 今でも夢に出てくることがある。当時の夫との間にはいろいろ、ほんとうにいろいろあったけれども、自分の半生をふり返ったとき最も輝いて見えるのは、鴨川に開墾した農場での風景だ。たくさんの犬や猫に囲まれ、馬や鶏や兎(うさぎ)を飼い、畑で野菜を、田んぼで米を作った。車で買い物に出るたび、必ず回り道をして海を眺めた。夏には夏、冬には冬の、海の色があった。

 そんなわけで、この日―久々に鴨川の海を前にした私は、懐かしさとも後悔ともつかない、一筋縄ではいかない気持ちに胸がぎゅうぎゅうと締めつけられていた。もし一人きりだったら、ずっと押し黙ったまま海を見ていただろう。

 もちろん、そうは問屋が卸さない。何しろ今回は、三つの灯台を巡るプロジェクトにテレビカメラが密着し、番組が作られるというのだ。待ち合わせ場所に指定された海っぺりの駐車場にはすでにロケ隊の皆さんが大勢待機していて、挨拶(あいさつ)を済ませるなり服の中にピンマイクを仕込んでいただくこととなった。

 まずは砂浜沿いの遊歩道をたどってゆく。四半世紀以上も連載を続けた『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズにも、くり返し登場する道だ。少し沖合ではサーファーたちが皆同じ方角を向き、いい波が来るのをひたすら待っている。デビューから二作目の『BAD KIDS』に描いた光景が今もそこにあった。

 潮の香り、まぶしい秋の陽射し、テトラポッドに砕ける波しぶき。

「この、きらっきらした感じが大好きだったんですよね……」

 手をかざし、彼方の水平線を見はるかしながら思わず口からこぼれた。

 さて、感傷はそれくらいにして、いよいよ一つめの灯台へ向かう。十月とは思えないほどの強い陽射しに、早くも肌がチリチリ焦げている。

2024.10.20(日)
文=村山由佳
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年9・10月特大号