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思い思いの時を愉しむことができる場所

 鴨川から江見(えみ)を通り過ぎ、今は亡き両親の実家が残る千倉(ちくら)を抜けて、海岸線沿いの国道をひた走れば、やがて白浜。せり出した陸地の先に『野島埼灯台』が見えてくる。〈岬の突端に立つ灯台〉と耳にした時、多くのひとが頭に思い浮かべるであろう姿がそのまんま出現した感じだ。蒼い海と青い空を背景に立つ、純白の八角柱。文句なしに美しい。

 白状すると、これまで私は、野島「崎」灯台だとばかり思っていた。

 違うのだった。よく見ると、周囲の地名の表記は野島「崎」であっても、灯台の名前は野島「埼」と書く。読みも、野島崎はノジマ「ザキ」、野島埼はノジマ「サキ」。しかも、じつはこれは他の灯台にも言えることなのだ。

 いったいどういう使い分けなのか、気になるから調べてみた。結果、〈国土地理院の地図と、海上保安庁の海図の、表記の違い〉なのだという。

 山へんの「崎」の字は本来、山の様子が険しいさまを表すもので、地形としては〈平野の中に突出した山脚や山地の鼻〉などをいう。旧陸軍の陸地測量部(現在の国土地理院)が作った地図ではこの字が用いられており、今も引き続き使用されている。

 それに対して土へんの「埼」のほうは、漢字の意味として〈海洋に突出した陸地の突端部〉を表す。旧海軍の水路部(現在の海上保安庁海洋情報部)は、海図に記す際にあえて「埼」の字を用いることで、航海する者がその地名からも地形を判断できるようにした。

 つまり、明治時代からの表記の約束ごとが、どちらもいまだに生きているということらしい。いやはや、面白い。文字の使い分けには必ずと言っていいほど意味がある。語源とか謂れが大好物の私には、それだけでも大きな収穫だった。

 改めて、その野島サキ灯台である。

 案内して下さるのは、郷土史を研究する早川郁夫(はやかわいくお)さん。どっしりと恰幅(かっぷく)がよく、穏やかで知識豊富な方ながら、ときどき真顔のまま冗談をおっしゃるので油断ならない。

 すっくと立つ白い灯台の足もとから海岸にかけて、今では芝草が青々と広がり、遊歩道が巡らされている。ここを観光地として整備したのが、かつて白浜町役場に勤めていた頃の早川さんだった。おかげで、灯台を訪れた人なら誰でも、源頼朝が雨宿りをしたという「頼朝の隠れ岩屋」で願掛けをしたり、朝日と夕日の両方を眺められる白いベンチ(通称ラヴァーズ・ベンチ)に並んで座ったりと、思い思いの時を愉しむことができるようになったのだ。

2024.10.20(日)
文=村山由佳
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年9・10月特大号