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 現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。

 建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。

 そんな知的発見に満ちた灯台をめぐる旅、第2回は直木賞作家・安部龍太郎さんが石川県珠州市の禄剛埼灯台を訪れました。能登半島の突端、海運の要地に設置された灯台は海から昇る朝日と、海に沈む夕陽を同日に見ることができるロマンチックなスポットでもありました。

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能登半島の突端へ、ひたすら北へ向かっていく

 能登観音崎灯台の次は能登半島の先端にある禄剛埼(ろっこうさき)灯台である。いったん七尾市の中心部までもどり、国道249号線をひたすら北に向かっていく。

 途中の中島町にある能登演劇堂では、数日前に仲代達矢さんがひきいる無名塾の『いのちぼうにふろう物語』の公演を観て、深い感銘を受けたばかりだった。

 半島の先端に近い珠洲市三崎町には、日本海の守護神として尊崇されている須須(すず)神社があり、源義経が奉納した蝉折(せみおり)の笛が保管されている。

 兄頼朝に追われた義経主従は、この地から船を出して奥州平泉に向かい、山形県鶴岡市の鼠(ねず)ヶ関の近くの港に上陸した。義経は出港前に須須神社に参拝し、愛用の笛を奉納して無事を祈ったのである。

 半島の先端は狼煙(のろし)という地名だが、これは沖の難所を通過する船に異変を知らせるための狼煙台があったからではないかと思われる。これほどの海運の要地だけに、政府は明治16年(1883年)に西洋式の禄剛埼(ろっこうさき)灯台を設置したのである。

 灯台に近い「道の駅 狼煙」で河崎倫代さんが待っていて下さった。明治時代に灯台守をつとめた小坂長之助氏のひ孫で、灯台や地元の歴史、文化を伝える「能登さいはて資料館」を運営しておられる。

「天気が良ければ佐渡ヶ島が見えますが、今日はちょっと」

 河崎さんは残念そうに語りながら、灯台につづく道を案内して下さった。道はかなり急な登りだが、灯台の周辺が国定公園に指定されているので、両側に季節の花が植えられている。

 花畑は地元の人たちのボランティア的な尽力によって守られていて、この日も河崎さんの妹さんが他県から手伝いに来ておられた。地域を守る精神は、灯台守をつとめていた長之助氏から受け継いだものかもしれない。

2022.11.24(木)
文=安部龍太郎
撮影=橋本 篤
出典=「オール讀物」11月号