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 現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。

 建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。

 そんな知的発見に満ちた灯台をめぐる旅、今回は直木賞作家・安部龍太郎さんが福井県敦賀市の立石岬灯台を訪れました。

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世界に開かれた敦賀の港

 生地島灯台を訪れた後、その夜は金沢市に泊り、翌朝7時15分発のサンダーバードで敦賀駅に向かった。駅前で取材クルーと待ち合わせ、車で立石岬灯台を目ざした。

 敦賀湾の西側に突き出した半島の先端に建てられたもので、駅からの距離はおよそ18キロ。車で30分ほどかかった。

 日本原電の原子力発電所の側を通り抜けて立石漁港に着くと、地元のテレビ局のスタッフと第八管区海上保安本部の方が待っていて下さった。海上保安本部は全国に十一管区があり、第八管区の本部は京都府舞鶴市にある。そこから我らの取材に立ち会うために、立石岬まで来ていただいたのだった。

 保安本部の方に先導されて灯台に向かった。あいにく台風の余波の小雨模様で、海辺の小径に生い茂る夏草は濡れている。そこを通り抜けると雑木林に入るので雨には降られないが、標高117メートルの頂上まできつい坂道がつづいていた。

 今回訪ねた4つの灯台の中ではもっとも厳しい立地にある。敦賀半島の先端という立地は、沖を通る船にも敦賀湾に入る船にもきわめて重要で、灯台が設置されたのは明治14年(1881)。日本海側では山口県の角島灯台に次いで2番目である。

2023.02.12(日)
文=安部龍太郎
撮影=橋本 篤
出典=「オール讀物」2023年1月号