三浦しをんの同名小説を原作とし、映画化、アニメ化もされた『舟を編む』。今回は、脚本・蛭田直美によって、連続ドラマとして新たな名作『舟を編む 〜私、辞書つくります〜』が誕生しました。今作では時代設定を2017年からに改め、コロナ後までを描きます。

 一見、地味とも思える「辞書作り」というテーマが、なぜこれほどまでに多くの人々の心を捉え、共感を呼んだのか。それは、私たちが日々の生活で何気なく使い、時にその力を過小評価しがちな「言葉」という存在に、光と影の両面から深く切り込んでいるからです。


主人公が新人、新たな時代設定…「令和版」改変のポイント

 中型の国語辞典『大渡海』の完成を目指し、言葉の意味を深く探求していく人々の情熱を描く本作。主人公は、出版社の花形であるファッション誌編集部から、地味な辞書編集部へと異動になった岸辺みどり(池田エライザ)。辞書という存在が軽視され、言葉に無頓着な人々が増えていく現代において、彼女はまさに私たちと同じ目線に立つヒロインです。

 原作の主人公・辞書編集部主任の馬締光也(野田洋次郎)ではなく、岸辺みどりの視点から描いているところがドラマ版のミソ。辞書は地味で重いだけだとか、言葉の意味が変わっていく時代に語釈を追求するのはタイパとコスパが悪い、などと思ってしまう私たちこそが、この物語の主人公なわけです。この改変は、辞書と視聴者の距離をより近づけました。

 そして私たちは、こういうタイプの人物こそがどんどん知らない世界にのめり込んでいく物語の定型をもう知っていますよね。本作も、成長するヒロインの姿を通して、視聴者を辞書を通した言葉の海へといざなってくれます。

 特に驚いたのは、第一話の冒頭、朝日を望む海辺にみどりが対峙し、涙を流すシーン。

・たん そく【嘆息】(名) 嘆いたり感心したりしてため息をつくこと。
・てい きゅう【涕泣】(名)涙を流して泣くこと。
・お えつ【嗚咽】(名)声を詰まらせて泣くこと。
・どう こく【慟哭】(名)悲しみのために、声をあげて激しく泣くこと。

 これらの言葉の違いを、みどりの泣き顔のアップによる表情や息遣いの一連の変化だけで見せてくれたこと。脚本、映像、語釈のテロップ、役者の演技……そのすべてが相まって、本作の真髄をわずか50秒ほどで完璧に知らしめたのです。

 馬締や辞書の監修者である日本語学者の松本朋佑(柴田恭兵)らとの対話を通して、みどりと視聴者は言葉の大切さや危うさを改めて学んでいきます。たとえばみどりの「私なんて」という口癖。みどりは松本のアドバイス通り「なんて」を辞書で引くと、「軽視」を意味する語釈があることに気づきます。

「ご飯食べる時間なんてないかも」「朝から電話する余裕なんてないからさ」「辞書なんてどれも同じだと思ってた」。これまでみどりが発してきた「なんて」という言葉が、画面上で増幅していく視覚効果も見事でした。自分が常に何かを下に見てきたこと、そして周囲の人を傷つけてきたことに気づいたみどり。その展開は、“なんて”巧妙なのでしょう!

2025.08.19(火)
文=綿貫大介
写真=NHK