『兄の終い』、という本がある。「終い」は「しまい」、と読む。疎遠もいいところの兄が急逝、後始末をすべて背負うことになった妹のすったもんだを描いたエッセイは現在10刷のヒット作となり、今秋には柴咲コウ、オダギリジョー主演で映画化される。後篇では、著者である翻訳家でエッセイストの村井理子さんに、映画化についての思いをうかがった。


まさかオダギリジョーさんが兄に似て見えるとは

――映画化の企画ですが、完成までは順調に進んだのですか?

村井理子(以下、村井) コロナ禍もあって、映像化の話が出てから3~4年はあって撮影が始まったんです。(中野量太)監督は苦労されたと思いますよ。私はもう無責任に「頑張ってくれてるかな~」なんて待ってるだけでしたが(笑)。

――映像化に関して、脚本のチェックなど密に関わる原作者もいますし、完全におまかせする方もいますが、村井さんはいかがでしたか。

村井 完全おまかせです。脚本はもちろん何度も読ませてもらいましたけど、私からどうこうはなくて。ただ親戚のほうから「登場する子どもたちの生活に影響が出ないように」という要望はあったので、その点は配慮してほしいと伝えました。

――監督とはコミュニケーションをしっかりとること、出来ました?

村井 はい、監督がうちにまで来てくださって、ほぼ1日かけていろんな話をして。私が兄の部屋の動画や写真を大量に残してあるんですけど、それも全部見ていただきました。あの壮絶な部屋を見て監督は引いてたと思いますけど(笑)。美術の方にもそれらは共有してもらって。

――映画に出てくるお兄さんの部屋、においまで感じられるようでしたね。村井さんから見て、完成度はどうでしょう。

村井 (力を込めて)本当にもう……同じでした! よくここまで作り上げたなと思うぐらい、一緒。

――完成試写をご覧になってまず思ったこと、教えてください。

村井 まさかオダギリジョーさんが兄に似て見えるとは思わなくて。兄ってね、イヤーな雰囲気を出すときがあるんですよ。そこがまず似てる。

――イヤーな感じというと、お葬式のあとのシーンのような?

村井 そうですね、母の葬式のときに大泣きして。激情型なんですよ、兄は。泣いたかと思うとフッとこっち向いて、ニヤニヤ笑いながら「俺たちついに二人きりになっちゃったなあ、これからも仲良くしていこうなあ」なーんて言う。式場の係の人にお願いして、お香典を全部金庫にしまってもらいました(笑)。

――お兄さんが持っていかないように(笑)。あと、亡くなられたご両親が出てくるシーンがうれしかったそうですね。

村井 はい、思い出の中の両親とものすごく重なったんです。とあるシーンでは、兄と両親が再会する。ひょっとしたら今あの3人、仲良く過ごしているのかもしれない……と思えて、ちょっと気がラクになりました。

――お兄さんは、親御さんとうまくいかなかった?

村井 兄は父に愛されたい気持ちがすごく強かったんです。ただ父には徹底的に嫌われて、避けられて。父からの愛情ほぼゼロの状態で育った人。それだけに父をものすごく求めました。父が亡くなってから父の服を着て、「俺、父ちゃんに似てるかな?」なんて私によく言っていたんです。全然似てないんだけど(笑)。でも棺桶に入ったときの兄の顔は晩年の父にそっくりだったので、兄に「よかったね」と言いました。

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