
『わるい食べもの』シリーズの食エッセイでもおなじみ、食いしん坊作家の千早茜さんが、子供の頃から特別に思うチョコレート。慣れ親しんだ甘いチョコレートを生み出す工場に、うかがう機会が訪れました。
巨大な橋や建造物を見ると、人間はすごいな、と思う。言葉に携わる仕事をしているのに「人間すごい」以外の感想が浮かばず、ちょっと呆けたようになってしまう。正しくは、すごいのは私以外の人間なのだが。私は自分が千人いたとしても島と島を繋ぐ橋や高層ビルを造れる気がしない。発想も浮かばないだろう。故に、圧倒されて言葉を失う。人が生みだしたのに人の手を離れ、機械によってしか構築できないものに相対すると「すごい」しかでてこなくなってしまうのだ。
長らく関西に住んでいたので、阪急電車から見える高槻のチョコレート工場には憧れがあった。車窓から見かけるたびに槇原敬之の『No.1』が頭の中を流れ、いつか入ってみたいものだと思っていた。私にとってあの曲は恋の曲ではなくチョコレートの曲だった。それも焦茶に金文字の板チョコの。電車から見える高槻の夕暮れは、私の中で金色に輝き、慣れ親しんだチョコレートのこっくりした甘い味がした。
そのチョコレート工場に見学に行けるという。仕事でお会いした「株式会社 明治」の方に「良ければ」とにこやかに言われ、前のめりでお言葉に甘えることにした。「明治」の工場は全国に幾つかあり、埼玉の坂戸工場へお招きいただけることになった。憧れの「明治ミルクチョコレート」はそこで作られているとのことだった。
工場見学にあたってアクセサリー類はもちろん装着不可、まつ毛エクステもネイルもオフしなくてはいけないと連絡がくる。そして当日、すっぴんの担当編集者たちと「社会科見学みたいですね」とキャッキャしながら駅に集合。車で工場へ近づくと、した! チョコレートの匂いが! でも、ちょっと苺っぽい…と呟くと「『アポロ』も作ってますから」と担当の方が幾つかある体育館みたいに大きな工場の一つを指して言った。夢の世界!
まず、カカオ豆についての説明を受ける。カカオ豆は船で二カ月かけて海外からやってくるという。茶色い麻袋も見せてもらい、嗅がせてももらう。青い酸味を感じるカカオの香りがした。カカオ豆を熱風でローストして胚乳や胚芽や皮に分離し、使わない部分もサステナビリティへの取組みとして名刺や容器に再利用しているそうだ。思わずいただいた茶色い名刺を嗅いでしまう。無臭。産地別のカカオマスを味見させてもらい、いよいよ工場の中へ。
入った瞬間、あったかい、と思った。まろやかな、甘いチョコレートの匂いに包まれる。まるでチョコのお風呂。ここで眠りたい…とうっとりしていたら、銀色の機械がごうんごうんという音で意識が戻った。ベルトコンベアの上を絶え間なく板チョコの型が流れていた。一つの型に十枚以上並んでいる。そこに液体状になったチョコレートが注がれる。なみなみとしたチョコレートが流れていき、気泡を抜くために揺らされ、冷却され、型から外され、金属検出機にかけられ、そして見慣れた包装がかけられる。途中、人の目でのチェックはあるが全て機械によって。完成した「明治ミルクチョコレート」はトランプの兵のように規則正しく進んでいく。それも何レーンもある。いつの間にか、流れていくチョコレートに思考が呑み込まれていた。一年間で食べられている量を並べると、北海道から沖縄を往復できる長さになるという。それをこの生産ラインで作っているとのことだった。頭の中に板チョコの道が果てしなく伸びた。

「ツインクル」の生産ラインも見学させてもらった。担当の方が「夢のつまった菓子です」と愛おしそうに微笑むのが印象的だった。キラキラ輝く色とりどりのホイルに包まれた小さな卵型の「ツインクル」は子供の頃の宝物だった。中からなにがでてくるか、そっと振って耳で確かめて、おそるおそる齧って手のひらに中のものをだしていた。ラムネ入りがお気に入りだった。夢の卵チョコは機械によって五種類ずつ並べられ、梱包されて、ころころ揺れながら流れていった。キラキラ光る一つ一つが夜空の星に見えた。
「明治ミルクチョコレート」は二〇二六年の九月で百周年を迎えるとのことだった。百年ってすごいことだ。私は百年生きられる気がしない。百年という年月を体感として把握できない。それと同じで、日本を往復するチョコの量も想像できない。でも、それが想像できる人間がいないと、それを生みだす機械がないと、誰もが知っていて近所で容易に買える“みんなのチョコレート”はないのだ。
千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。2008年「魚」(受賞後「魚神」と改題)で第21回小説すばる新人賞受賞しデビュー。09年『魚神』で第37回泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞、23年『しろがねの葉』で第168回直木賞を受賞。近著に、西淑さんの挿絵も美しい短編集『眠れない夜のために』などがある。
Column
あまくて、にがい、ばくばく
デビュー以来数々の文学賞を受賞してきた千早茜さん。繊細かつ詩情豊かな文章で読者を魅了する千早さんのもう一つの魅力は、嗅覚鋭く美味しいものを感知する食への姿勢。そんな千早さんが「特別」と思うチョコレートにまつわるエッセイが今回からスタートします。西淑さんのイラストとともに、さまざまな顔をもつチョコレートを堪能してください。
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- 文=千早茜
イラスト=西淑 - category









