浅野忠信の母として知られる浅野順子さん(75)。その波乱万丈の人生を、同世代のミュージシャン・近田春夫が聞き手となって掘り下げる対談が行われた。
10代の頃は横浜・本牧のディスコで華やかに踊ることで知られる「クレオパトラ党」に所属。19歳で結婚後、40代で家を出て新生活を始め、60代で画家としてデビューするなど、常に自分の意志を貫いてきた。そんな順子さんの60代から70代をダイジェスト記事でお届けする。
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順子さんが画家デビューするきっかけとなったのは、60歳の時の運命的な出会いだった。知人の別荘で見つけた美術雑誌に掲載されていた一人の芸術家の写真を見て、一目惚れしてしまったという。
「顔っていうより、雰囲気が素敵だったの。ベンチの端の方に座って、一人でタバコ吸ってるだけでも絵になる人。何て言うの、パリの街角にでもいそうな空気感を漂わせてるのよ」と順子さんは当時を振り返る。
その後、知人を通じてその芸術家と出会った彼女は、珍しく自分から電話番号を聞き、交際をスタートさせた。彼は順子さんより3歳下の57歳。若い頃はロンドンでヨウジヤマモトのショーに作品を提供したこともある芸術家だった。
彼との出会いが、順子さんの創作意欲を刺激した。「彼と出会ってからは、大きな絵を描くようになった。『君は、大きな絵を描いて、力いっぱい自分を表に出した方がいいよ』というアドバイスをくれて」と語る順子さん。それまではスケッチブックに細かい絵を描く程度だったが、彼の勧めで63歳の時に初めての個展を開いた。
興味深いのは、二人の影響関係だ。彼女は美大出身ではなく、「赤い絵の具がなかったら、代わりに紅生姜の汁を使っちゃうぐらい」と型にはまらない自由な表現をする。一方、彼は美大出身で美術教師の経験もあり、アカデミックな背景を持っていた。「私と付き合い出してから、彼は変わったみたい。息子さんは、『順子さんと出会ってから、それまでほとんど白黒の絵ばかり描いていた父が、色を使うようになった』って言ってた」と順子さんは明かす。
二人の関係は、最初に「お互いこんな齢だから、一緒に暮らすのは、あと10年かな」と予言したとおり、9年目に終わりを迎えた。彼は山梨に帰郷し、順子さんは東京に残ることになった。「いがみ合って離れたわけじゃないから。円満円満。『僕が引っ越しても、いつも君のそばにいると思ってね』と言われたぐらいで」と穏やかな別れだったという。










