この記事の連載
ドラマ「SHOGUN 将軍」でゴールデングローブ賞助演男優賞(テレビドラマ部門)を受賞し、国際派俳優として注目される浅野忠信(51)。長女のSUMIRE(29)、長男のHIMI(25)もモデルやシンガーソングライターとして活躍中。そんな一家の面々を陰で支えてきたのが、浅野忠信の母、浅野順子さん(74)だ。
順子さんは、戦後、日本に駐留していたアメリカ人調理兵の父と元芸者の母の間に生まれ、1960年代、山口小夜子やキャシー中島も所属し、横浜・本牧のディスコで華やかに遊ぶことで知られていた美少女グループ「クレオパトラ党」の一員だった。さらに、60歳を過ぎて出会った恋人に才能を見出され、画家デビューしたという特異な経歴を持つ。
彼女と同時代を生きてきた畏友、ミュージシャンの近田春夫さん(74)を聞き手に迎え、稀代の女傑の半生を彼女のアトリエで掘り下げる。

》【画像】現在の浅野順子さんや、「クレオパトラ党」時代の写真、アトリエの様子などを全部見る(全27枚)
19歳で結婚、当時の夫との出会い
近田 順子さんってさ、家庭を築いたのは早かったんでしょ。
浅野 ええ。モトテイと結婚したのは、19歳の時だった。
近田 ちょっと待って。モトテイって何?
浅野 ああ、分かんないか。元亭主ってことよ。
近田 なるほど、元カレとか元カノみたいなもんね(笑)。その言い回し、初めて聞いたよ。そのモトテイとはどうやって知り合ったの?
浅野 あれは18歳の頃。横浜の元町にあった「アストロ」かなあ、クレオパトラ党のサリーと二人でディスコに行ってたの。じゃあ帰ろうかって出てきたところで、サリーの知り合いの男の子のグループに出くわして、これからドライブ行こうよってことになった。そのうちの一人が、麦田のトンネル抜けたところにアパート借りてたんで、ドライブから戻った後に、そこで遊んでたのね。翌朝起きたら、その部屋に、後に結婚することとなる彼がいたのよ。
近田 ああ、朝になったらそこに来てたんだ。溜まり場みたいなとこだったのね。

浅野 そしたら、すぐに私にモーションかけてきた。
近田 当時、順子さんには彼氏みたいな存在はいなかったの?
浅野 まあ、中華街のちょっと悪いのと付き合ってたんだけどね。
近田 ちょっと悪いの(笑)。
浅野 その時の私は、ショートの金髪に真っ白のパンタロンスーツ着て、男だか女だか分かんないような見た目だったんだけど、それを見た瞬間、モトテイは、結婚するなら絶対こういう女だって思ったらしい。実は、私の方もさ、結婚するならこういう男だなあと思ったのよ。
近田 お互い、ビビビッと運命を感じたわけね。
浅野 その場で、いきなり向こうが「付き合ってくれないか」って言うから、「いいよ!」って即答したのよ。
2025.03.16(日)
文=下井草 秀
撮影=佐藤亘