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 現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。

 建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。

 そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2020年に『熱源』で第162回直木三十五賞を受賞した川越宗一さんが北海道の神威岬灯台を訪れました。

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灯台にある深い思い出

 灯台には深い思い出がある。

 といっても、船乗りや灯台勤務をやっていたわけではない。

 時は2019年、たしか2月だった。当時のぼくは北海道やサハリン、南極が舞台になる小説を書いていた。いずれも雪深い地だが、ぼくはずっと比較的温暖な場所に住んでいたから、雪については「白くて冷たい」くらいしか分かっていなかった。そこで遅ればせながらの取材を思い立ち、わざわざ冬を選んで北海道へ取材旅行に出かけた。

 折悪しく、記録的な寒波が北海道を揉みしだいていた。歩道の左右は削られた雪の壁が背丈ほどの高さになっていたり、目的地のひとつだった墓地は除雪が追い付かず立ち入りできなかったりと、なかなか貴重な体験をした。

 旅行の二日めか三日め、道北にある海辺の駅で下車した。窓には花のように美しい結晶が這い、海は凍っていた。寒さでバッテリーがいかれたスマートフォンは電源が勝手に落ちるから、撮りたい写真が撮れずに困った。

 行きたかった先々を訪れたり断念したりしていると夕方になったので、その日の宿を目指して路線バスに乗った。ほかに乗客はおらず、外では雪が激しくなっていた。思わず、スマートフォンを両手で挟んで温めていた。

 下車予定だったバス停に着いたころは日が暮れていて、停留所の標識を照らす明かりは吹きすさぶ濃密な雪にかすんでいた。これ歩けないだろ、と思った瞬間、プシュッとバスの扉が開いた。運転士さんの背は「今日も何事もない」と言わんばかりの落ち着きを見せている。地元の人にとって、これくらいの雪は日常茶飯事なのだろうか。

 おそるおそるバスを降りる。低いエンジン音が遠のいてゆく。ぼくの周囲は雪が街灯に光る白い闇、その向こうは夜の黒い闇である。目指す宿までは歩いて五分もかからぬ距離だが、文字通り手探りで行くには遠すぎる。スマートフォンはいまのところ動作しているから地図アプリを見ればよいかもしれないが、いつまた電源が落ちるか分からない。

 凍死、という言葉を我が身について覚えたのは、初めてだった。今となれば、雪に慣れぬ人間があわてていただけとも思えるが、その時はほんとうに怖かった。

 ふと見上げた。水平方向に救いはない、という諦めだったかもしれない。かといって上方向には天国しかないのだが、などと考える余裕もなく、ともかく見上げた。

 量感を伴った白い光が虚空に明滅していた。いかん走馬灯だ、と思い至るほどにまだ切羽詰まっていなかったが、不思議な現象に思わず見とれてしまった。

「道が分からなければ、灯台を目印にしてください」

 宿の予約時に言われた言葉を思い出した。ぼくは灯台の光を目指して道を埋める新雪を踏み、幸いにも元気だったスマートフォンで位置と方向を確かめながら、なんとか宿にたどり着いた。

 かくてぼくは生還し、小説も無事に書き上げることができた。うまく書けたかは心許ないが、最後まで書けたのは北海道の雪に学ばせていただいたおかげだし、書くための命は灯台の光がくれたようなものだ。

 それから数年が経った。以上の思い出は関係ないはずだが、くだんの小説のおかげか、ぼくはリレー紀行「『灯台』を読む」に北海道担当として参加させていただくこととなった。

2023.09.16(土)
文=川越宗一
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2023年9,10月号