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 現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。

 建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。

 そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回はデビュー作『烏に単は似合わない』で松本清張賞を最年少で受賞し、以降続く「八咫烏シリーズ」が人気の作家・阿部智里さんが生まれて初めての灯台巡りへ。

 まずは、八咫烏の聖地・和歌山県の潮岬灯台へ出発です。

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夕日に優美に染まる思い出の灯台

「阿部さん、灯台にご興味はありませんか?」 

 そう、いつもお世話になっているオール讀物の編集長に声を掛けられた瞬間に頭に浮かんだのは、大学の卒業旅行で行った出雲のことだった。

 この時一緒に行った友人達は、こいつらと遊びに行くと必ず悪天候に見舞われるという曰く付きのメンバーであった。当時は毎度微妙に面子を変えて遊びに行き、誰が「雨女」かを特定するという、誰も得をしない魔女裁判が行われていたのだ。

 そんな中で私は「(1)京都旅行で台風が直撃して帰りの新幹線が止まってしまった」「(2)大阪・兵庫旅行でまさかの大雪に見舞われて地元に帰れなくなった」という、規模のでかいリーチ状態にあった。「いや流石に3回目はあるまいて!」と笑っていたのだが、最終日に急に台風が進路を変えて寝台特急が止まってしまうというまさかのビンゴを叩き出し、「阿部で確定だな」と友人達から肩を叩かれてしまったのだ。

 そんな、回想するにほろ苦さを感じる旅行ではあったのだが、純粋に「綺麗だったなぁ」と思い出されるのが灯台なのであった。

 地元のタクシー運転手さんに連れて行ってもらった、出雲日御碕(ひのみさき)灯台である。

 到着したのはちょうど日の落ちる頃であり、本来真っ白い灯台が鮮やかなピンク色に染まっていたのをよく覚えている。風が強くて空気が澄んでいたものだから、余計に光が鮮烈に感じられたのだろう。海なし県群馬出身の私は妙にテンションが上がってしまい、画質の悪いガラケーで何枚も写真を撮ったものだった。

 まあ、今思うとあの強い風は台風の前触れだったのだろうが……とにかく、私の中に唯一ある灯台の記憶というものは、夕日に優美に染まるあの光景なのだった。

「えーと、興味があるかというご質問の意味が『詳しいですか』という意味なら確実に『いいえ』なんですが、『行ってみたいですか』という意味なら『はい』になりますね」

 こういう質問をされる時は、たいてい何か裏がある。多分、ただの世間話ではなかろうなと思ったのだが、案の定、私の返答を聞いた編集長は満足そうに頷いたのだった。

「じゃあ、灯台巡りに行きましょう!」

 そこで初めて、私は『海と灯台プロジェクト』の存在を知らされた。

 現在、日本には約3,000基もの灯台がある。

 近代化以前、日本の海は「DARK SEA」と呼ばれ、その暗さと海難事故の危険性から、開国とほぼ同時に灯台の設置が急務とされた。俗に言うお雇い外国人の力を借りて、全国各地にたくさんの灯台が建てられたのだ。

 しかし現在ではGPSなどを始めとする航海技術が発達し、灯台は航路標識としての役割を終えつつある。このまま廃れるに任せるのはあまりに勿体ない。その存在意義と価値を正しく伝え、どんどん利活用していこう――という取り組みらしい。

 プロジェクトでは、「灯台が果たしてきた地域固有の役割や機能、存在価値を物語化できていない」という課題があり、「じゃあいっちょその手の専門家に灯台をまわらせて物語化してもらおうじゃないの」という感じで、作家に紀行文を書かせることになったそうだ。

 説明を受けて、私は困惑した。

「いや、お話を頂いたことは非常にありがたいし光栄なんですが、その流れでどうして海なし県民の私に白羽の矢が立ったんです……?」

「阿部さんの他には、安部龍太郎さんと門井慶喜さんが全国を回られる予定です」

「ますます私が選ばれた理由が分からんのですが」

 遅まきながら雑に自己紹介をすると、私はファンタジーを得意とする作家である。

 紀行文の依頼というのも初めてであり、灯台との関わりというものも、冒頭で書いた卒業旅行の思い出が全てだ。どう考えてもミスチョイスでは、と慌てる私に、編集長は「だからいいんじゃないですか」とあっさり言ってのけた。

「阿部さん、今は灯台のこと全然ご存じじゃないでしょう? そういう、灯台に全然馴染みのない読者さん向けのものを書いて下さい。こちらも、他のお二方と全く違ったアプローチの紀行文になることを期待してお声がけしているので」

 この言葉は目から鱗だった。そうか、ミーハーな視点が許されるなら、じゃあそういう紀行文を書いてみようか、と。

 そんなこんなで、生まれて初めての灯台巡りをすることになった。

 普段書いている作品が「八咫烏シリーズ」と銘打っているご縁もあり、私が伺うのは、和歌山県から三重県にかけてのエリアとなった。和歌山県が熊野三山は、言うに及ばず八咫烏の聖地である。羽田から南紀白浜へは空路で、そこから先は車で鳥羽駅まで向かうという、2泊3日の旅程が組まれた。

2023.02.12(日)
文=阿部智里
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2023年2月号