大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(NHK総合、日曜午後8時ほか)がいよいよ12月14日に最終回を迎える。江戸の出版人・蔦屋重三郎(横浜流星)の生涯を通じて、文化の力で時代を切り開いた人々の姿を描く本作。
脚本を手がける森下佳子は、これまで『JIN-仁-』や『大奥』で性搾取構造を描いてきたが、今回は加害側にいる男性を主人公に据えた。そこにはどんな葛藤があったのか。また、浪人の小田新之助(井之脇海)、女郎のうつせみ(小野花梨)、そして新之助とうつせみの子・豊坊という愛されたオリジナルキャラクターたちを死なせるなど、視聴者から「鬼脚本家」と呼ばれることへの思いとは。前篇では、吉原を描く覚悟、性産業がなくならない歴史への考察、オリジナルキャラクターに託した思い、史実とミステリーの狭間で描いた人物造形について語ってもらった。
蔦屋重三郎という「出版人」を描くときに、“吉原”を切る選択肢はなかった
――これまで森下さんは『JIN-仁-』で吉原を、『大奥』で女性が背負わされる「産む」役割を描いてこられましたが、本作では吉原を舞台に、性搾取の加害側にいる男性を主人公に据えました。そこにはどのような葛藤がありましたか。
森下佳子(以下、森下) 葛藤する余地がないですよね。だって蔦屋重三郎はそこで生まれたわけですからそれを受け入れるしかない。別のところで生まれたってしたら、それはそれで皆さん歴史と違う! って怒るじゃないですか。方法論としては全く描かず、ただの故郷とする手もあったと思うんですが、それでは彼の初期の飛躍は全てバッサリいくことになる。吉原時代に彼が作った本には、編集方法として今でも通用するような斬新な発想があったし、蔦屋重三郎という「出版人」を描くときに、そこを切る選択肢はないなと思いました。
――蔦重が女郎たちによって食わせてもらっているという自覚も描かれていますね。女性の味方として美化もしていない。
森下 吉原は町ごと女郎に食わせてもらってますよ。それこそ、そこにある米屋さんも魚屋さんも湯屋もその町に生まれた子供も。「俺は私は女郎に食わせてもらってんじゃねぇ!」なんて言い切れる人はいなかったんじゃないかな。だから町の経済構造を考えると女郎たちを牛馬のように思っていたというのもまた違うと思いました。もちろん、蔦重は「こんな町は間違っている! 性搾取だ!」と立ち上がった現代的な英雄ではないので、そこを美化する必要はない。だから、できるだけどっちにも激しくブレないよう「そこに生まれついて悪い奴じゃなかったら人情としてこんな風な感じかなぁ」という人に描きました。
世の中の方がそれをどう受け止めるかは、すみません、私はあまり意識していませんでした。っていうか、意識しても仕方がないというか。歴史ですもん、私にはどうにも出来ないじゃないですか。そこを思い悩むよりは、吉原のしきたりや運営、経済システム、そもそもそういう場がなぜ社会的に「成立した」のか、あるいは「してしまっているのか」。それをわかりやすく伝え、知見を得た人に今に生かしてもらうことの方がよほど有益だろうと考えました。むしろ「知らない」ことの方が恐ろしくないですか? 簡単におんなじ穴にハマっちゃうわけですから。歴史に学ぶ意味ってそれこそ、そこにあるんじゃないのか、と、個人的には考えています。
――性搾取される側の女郎たちも、単に被害者ではなく、自分の意思を持ち、能動的に自分の幸せを求めて生きます。こうした女性の能動性はどんな思いで描かれたのでしょうか。
森下 世の中って当たり前ですけどいろんな人がいるじゃないですか。吉原に売られてきて、そこで生きていくしかなかった時にもたぶんいろんな人がいるだろうと。流されて不幸な一生を終える人もいれば、堕ちていく人もいる、脱走する人も火付けする人もいる、逆にそこから出て幸せをつかもうと思う人もいたと思うし、つかんだ人もいたと思う。だから当たり前にそんな風に書きました。
それに誤解されがちなんですが、吉原は決して出ていけないところではないんですよ。身請けもあるし、年季も10年と一応決まってはいる。年季明けに吉原の内外で平凡に結婚する道だってある。どれも簡単ではないだろうけれど。どんな界隈でも、そこで生きていくことになってしまった自分の人生をどう認識し、どう先を考えるか、それは人それぞれでしょう。
――それでも性搾取の構造は今も残っている。現代と重ね合わせて思うところもありましたか。
森下 性搾取の構造はなくなれば良いとは思います。この問いを聞かれて、そう答えない人はかなり少ないんじゃないですか? でも、現実問題できてないんですよね。売春はしぶといというか、人類最古の職業と言われ、今までなくなったことがないんですよ。とすると、人類未達の領域を、果たして私たちが達成しうるかということになるわけですが、現実としてはやっぱり難しいんじゃないかと思うところはあります。多くの人が「なくなればいい」と思っていても「なくならない」同種のものに戦争があると思うんです。あんだけ「ダメだ」「悲惨だ」と分かっていて、世界中で散々そう教えられても、結局やめることも止めることすらできない哀れな愚物じゃないですか、私たちは。では、私たちは愚物じゃなくなれる日は来るのか……。そんなことを思ったりはしてます。
新之助はもともと「打ち壊しのリーダー」として亡くなるキャラだった
――小田新之助とうつせみは、俄祭りの賑わいに紛れて吉原を脱出しました。幸せになってほしいと視聴者の誰もが願いましたが、夫婦になった二人は最終的にとても悲しい結末を迎えます。彼らにどんな思いを込めたのでしょうか。
森下 歴史って、無数の死の塊じゃないですか。その死の形が語られている人は、ほんの一握りで。もともと新之助は、あの最期のために作ったキャラクターなんですね。資料の中に、打ち壊しにはリーダーがいたんじゃないかという話が出ていて、幟を作ったとか、決起があったという話は残っている。そのリーダーを書きたいと思ったのが、新之助誕生のきっかけなんです。
――え……打ち壊しのリーダーとして亡くなるキャラというのが出発点だったんですか!
森下 そうです。すごくひどい言い方をすれば、愛されようが愛されまいが死ぬんです(笑)。立ち上がって死ぬために作った人だから。うつせみや豊坊に関しては、天明の大飢饉の過酷さを表現するための選択でした。飢饉のひどさは、言葉で語るか、死体の山で語るしかないじゃないですか。でも、そのどちらの表現も、自分にとっては、胸に来ないんですよね。それは多分知らない人だからなんですよ。今回はちゃんとその人の人生を語った上で、犠牲になってもらおうと。視聴者の皆さんには「ひどい!」って言われることがすごく大事なんだろうなと思っていました。










