
『わるい食べもの』シリーズの食エッセイでもおなじみ、食いしん坊作家の千早茜さんが、子供の頃から特別に思うチョコレート。今回は、嫌いだったレーズンの魅力に気づかせてくれた、チョコレートのコーティングについて綴ります。
子供の頃、レーズンが嫌いだった。しわしわの見た目が湯船に浸かりすぎた自分の指のようで気味が悪かったし、ぐにゃっとした食感も、甘いのに酸っぱさがあるところも苦手だった。それなのに、おやつにレーズンを与えられることが一時期続いた。家族でアフリカのザンビアという国に住んでいたからである。四十年近く前のザンビアは日本の菓子がなかなか手に入らず、現地に菓子らしい菓子はなく、毎日のおやつは母の手作り菓子か果物かレーズンかファットブルームをおこした「キットカット」だった。あの数年は私の人生における菓子暗黒期だったと断言できる。
帰国してからも、トロピカルフルーツの類は積極的に食べる気にならず、レーズンは見たくないくらい嫌なままだった。「キットカット」は嫌いにならなかったが、ファットブルームを激しく憎むようになった。
そんなある日、チョコレートでコーティングされたレーズンを食べてしまった。麦チョコと間違えたのだ。食感で「しまった!」と思った次の瞬間、濃い果実の旨みがチョコレートからにじみでて、「あれ、美味しい……」と衝撃を受けた。干した葡萄の豊潤さに目覚めてしまった。警戒心がわきおこる酸味も、チョコレートと合わされば香り高く感じられた。特に、貴腐ワインに漬けたレーズンをコーティングした「レザン・ドレ・オ・ソーテルヌ」は眩暈がするほど好みだった。これは時間が経てば経つほど香りが豊かになる。チョコレートは果実を熟成させる蔵でもあるのかと思った。私のレーズン嫌いが治ったのはチョコレートのおかげである。

液体状になったチョコレートは、なんでも包み込んでくれる。そして、味の汎用性も高い。大抵の菓子や果物に合うからチョコフォンデュやチョコレートファウンテンなるものが存在するのだろう。私は無花果やプルーンや林檎といったドライフルーツのチョコレートがけに魅了され、特にオレンジピールをコーティングした「オランジェット」は新しいショコラティエを見つけるたびに買うようになった。掌サイズの小枝の束のような見た目も好ましい。
今までで最も驚いたコーティングは生姜だった。フランスの『Jacques Genin』のものをお土産でもらった。小指ほどの黒い塊を口に入れて噛むと、薄いチョコレートが割れ、カシュッとした歯ごたえがあった。一瞬、自分がなにを食べたのかわからなくなった。チョコレートの殻が割れて、しゃくしゃくとした未知の食材が生まれてきたかのようだった。けれど、蜜のような甘さの中に、覚えのあるぴりりとした辛さがあり、それがダークチョコレートの苦みと調和している。確かに、生姜だった。が、私が知っているどんな生姜とも違った。生姜の繊維はまるで感じず、果汁が滴る果物の如きみずみずしさなのだ。調べると、生姜をコンフィしているという。ショコラティエは魔法使いだと思った。フランス語で生姜を意味する「ジャンジャンブル」という商品名も呪文めいていて耳に楽しく残った。
残念ながら、『Jacques Genin』の店舗は日本にはない。私が食べた限りでは、東京・青山にある『JEAN-CHARLES ROCHOUX』のものがみずみずしさでは近い。でも、こちらも入荷していないことも多く、いつでも食べられるわけではない。「ジャンジャンブル」探索の旅は続く。
ここまで書いて気づいたが、臆病な私は中になにが入っているかわからない食べものは苦手だ。それなのに、チョコレートでコーティングされているものは口に入れてしまう。ひとえにチョコレートへの愛と信頼故である。
千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。2008年「魚」(受賞後「魚神」と改題)で第21回小説すばる新人賞受賞しデビュー。09年『魚神』で第37回泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞、23年『しろがねの葉』で第168回直木賞を受賞。近著に、西淑さんの挿絵も美しい短編集『眠れない夜のために』などがある。

Column
あまくて、にがい、ばくばく
デビュー以来数々の文学賞を受賞してきた千早茜さん。繊細かつ詩情豊かな文章で読者を魅了する千早さんのもう一つの魅力は、嗅覚鋭く美味しいものを感知する食への姿勢。そんな千早さんが「特別」と思うチョコレートにまつわるエッセイが今回からスタートします。西淑さんのイラストとともに、さまざまな顔をもつチョコレートを堪能してください。
2025.07.08(火)
文=千早茜
イラスト=西淑