
CREA2025年夏号「1冊まるごと人生相談」の発売を記念して、7月3日・4日の両日にわたり、代官山 蔦屋書店で、2夜連続のトークイベントが開催された。
第1夜を大いに沸かせたのは、脳科学者の中野信子さん。そして、第2夜に登場したのは、浅野順子さんと近田春夫さん。
今年1月から、CREA WEBでは、ゴールデングローブ賞を獲得した国際的名優・浅野忠信さんの母である順子さんの波乱万丈にもほどがある半生を、ベテラン音楽家の近田さんが聞き出す対談を連載、サイトの歴史に残る特筆すべき閲覧数を記録した。
この好評を受け、企画されたのが夏号におけるお二人の人生相談。70代半ばならではの深みを帯びた叡智は、快哉をもって受け入れられた。
そのライブ版として実施されたのが、「いろいろあって70代」と題された今回のイベント。当日の模様をお届けしたい。
とても話し切れない浅野順子の半生からスタート

会場となった代官山 蔦屋書店のシェアラウンジ イベントスペースには、開演前から、画家として名を馳せる順子さんの最新作が展示され、ゲストの目を引き付ける。また、舞台上の大型モニターには、ここ数年、順子さんが著名ブランドのモデルを務めた写真が投影され、トークへの期待を否応なくかき立てた。
公の場で順子さんの姿を目にすることができるのは、実のところ、かなりレアな機会。彼女が登壇した瞬間、尋常ならざるそのオーラが、満場を圧した。

まずは、CREA WEBでの連載をおさらいする形で、貴重な写真とともに順子さんの半生をプレイバック。同学年に当たる近田さんが、同じ時代を遊泳してきた自らのライフヒストリーと重ね合わせつつ、彼女の軌跡を駆け足気味にトレースした。
終戦後に横浜の基地に駐留した米兵である父、ウィラード・オバリングと、満洲から引き揚げた元芸者の母、浅野イチ子。二人の間の一人娘である順子さんが生まれた時、父は24歳、母は39歳だった。

順子さんが4歳の頃、父は、単身母国へと帰ってしまう。悩んだ末に日本に残ることを選んだ母と、順子さんとの二人暮らしが始まる。しばらく経って、父とは音信不通になってしまうが、後に、父は、幼い頃の順子さんの写真をウォレットに忍ばせ、肌身離さず死ぬまで持っていたことが判明する。
18歳になった順子さんは、横浜界隈で鳴らした遊び人少女のグループ、「クレオパトラ党」に参加する。この集団には、国際派のモデルとなる山口小夜子さん、タレントとなるキャシー中島さんなど、後に有名になるメンバーが揃っていた。
クレオパトラ党としての遊興の傍ら、順子さんは、ディスコのゴーゴーガール、すなわち専属の女性ダンサーとしての活動も開始。さらにはモデルの仕事にも手を広げ、華やかな東京の夜で輝きを放つ。

……と、このあたりで、浅野順子史を振り返るために割いていたイベント前半の時間をすでにまるまる消費。まだ忠信さんすら生まれてない。あまりにも濃厚すぎる半生、こんな尺には収まらない! 現在にたどり着くには一晩かかる!

ということで、ここからは、ターボをかけてかいつまんで順子クロニクルを追いかける。19歳で一つ年上の男性と結婚し、二人の息子をもうける。23歳の時に生まれた次男が忠信さん。その後、子どもを幼稚園に通わせている間に隣の公園でビキニで肌を焼いたり、ヘソの出たジーンズで授業参観したりと、破天荒な子育てを行った。

息子たちも成人した43歳の時、順子さんは家を出る。その後、40代と60代で、個性的な男性を相手に新しい恋を始め、さらに人生を謳歌することになるのだが、……この辺で本格的に時間が尽きてきたので、詳しい半生はこちらの連載をお読みください。

近田さんが最後に一言でまとめた通り、順子さんは「大物」である。非常に盛り上がった前半はここで終了となった。
2025.07.30(水)
文=下井草 秀
写真=平松市聖