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 現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。

 建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。

 そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回はデビュー作『烏に単は似合わない』で松本清張賞を最年少で受賞し、以降続く「八咫烏シリーズ」が人気の作家・阿部智里さんが、前回訪れた潮岬灯台からほど近い、樫野埼灯台を訪れました。

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樫野埼灯台とトルコの深いつながり

 灯台は、海の安全の歴史におけるランドマークでもある。

 どこか厳粛な気持ちで迎えた2日目。小雨の降りしきる中、我々が訪問したのは、日本で海の安全を考える上で外すことの出来ない灯台である。

 その名も、樫野埼灯台。

 「エルトゥールル号遭難事件」と聞けば、多くの方がピンとくるのではないだろうか。

 1890年(明治23年)9月16日、親善のために日本を訪れていたトルコの軍艦エルトゥールル号が悪天候の中で岩礁に激突し、600人以上の乗員が嵐の夜の海に投げ出されてしまった。生き残ったのはわずか69名という、非常にいたましい大事故である。

 その際、事故現場である大島の住人達が見返りを求めずに遭難者を手厚く救護した話がトルコにも伝わり、後の日土関係に大きな影響を与えた。1985年、イラン・イラク戦争が激化してイランに攻撃の危機が迫る中、取り残された日本人をトルコが救援機を出して助けてくれたのもそういった背景があってのことであり、大統領の下した日本人を助けるという決断を、トルコの人々は咎めるどころか賞賛してくれたのだという。

 そういった話を、私は高校時代の歴史の授業、テレビ番組や映画などで聞き齧っていた。

 実際、樫野埼灯台とトルコの深いつながりは、到着した瞬間から明らかであった。

 駐車場から樫野埼灯台に向かうまでのわずかな間にも、トルコ記念館、トルコ絨毯やトルコアイスの幟の立ったお土産屋さん、トルコ軍艦遭難慰霊碑、トルコ共和国初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの騎馬像がずらりと並んでいるのだ。

 私は、こうした過去に多くの方が亡くなった現場を、そこを目的として訪れるのは初めてのことだった。まずはトルコ軍艦遭難慰霊碑にしっかり手を合わせてから、白くぽってりとした形の灯台へと向かった。

2023.03.04(土)
文=阿部智里
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2023年3.4月合併号