「悪そうな奴は大体友達」(Dragon Ash「Grateful Days (feat. ACO, Zeebra)」)というリリックの「悪そうな奴」が醸し出す妙味とは? 思わず唸るほど秀逸な「フワフワ表現」の数々を堪能する!

 気鋭の言語学者・川添愛さんが日常に飛び交う会話を様々な角度から分析し、「言葉のセンス」を探求する言語学エッセイ連載第6回です!

 最近、短歌を始めた。30首ぐらいできたところでAIに評価をさせたところ、「抽象的でぼんやりした表現に逃げすぎです」と言われた。確かに、自分が作った歌を見ると、「たぶん」とか「ある意味」とか「良さそう」といったぼんやりした言葉が多い。何でもいいからとにかく字数を埋めようとするいい加減さを見破られてしまったようだ。

 AIからは「もっと具体例や固有名詞を入れると良くなります」とアドバイスされ、なるほどと思った。実際、人に何かを伝えるときには、抽象的な内容よりも具体例の方が相手の印象に残りやすかったりする。私も言語学関連の講演をすることがあるが、聞いていた人たちに感想を聞くと、私が一生懸命説明した「言葉の『意味』と、その人が伝えたいと思っている『意図』は同じではなく、正反対にもなりうる」といった言語学的な内容はほとんど覚えておらず、具体例として使ったダチョウ倶楽部の「絶対に押すなよ」だけハッキリ覚えているということが何度もあった。それぐらい、具体例や固有名詞にはパワーがある。

 一方で、ぼんやりした言葉を愛してやまない自分もいる。何を隠そう、私が一番好きなオノマトペ(擬態語・擬音語)は「フワッと」だ。もともとの「物理的な柔らかさ、軽やかさ」という意味よりも、そこから派生した「発言がフワッとしている」とか「フワッとした意見」みたいな用法の方が好きだ。フワッとした言葉にしかない味わいもあると強く思っているので、AIから「そういうのに逃げるな」と言われても素直に聞き入れづらい。

 同時に、フワッとした言葉を使って他人に「センスあるなあ」と思わせるのは、けっこう難しいことだとも思っている。だからこそ、たまに「これは!」という表現に出合うとめちゃめちゃテンションが上がる。以下では、これまでに私を唸らせた「フワフワ表現」をいくつか挙げていくので、ヒマな人はお付き合いいただきたい。

 一つ目は、「悪そうな奴は大体友達」である。Dragon Ashが1999年にリリースした楽曲「Grateful Days (feat. ACO, Zeebra)」で、ラッパーのZeebraが発するリリックだ。直前の「俺は東京生まれHIP HOP育ち」という部分とともによく知られているので、聞いたことのある人も多いだろう。

 強烈なインパクトを感じさせるフレーズだが、私個人は「悪そう」のぼやかし具合が気に入っている。あくまで「悪そうな奴」であって、「悪い奴」ではない。もし本当に悪い方々とご友人だったら、曲の発表当時はともかく令和の世では受け入れられなかったかもしれない。「悪そう」と濁すことでそこらへんを回避できたわけだ。

 また、「悪そうな奴」が醸し出すスリルはそのままに、「見た目は悪そうだけど実はいい奴」という可能性と、そんな仲間たちとの「地に足のついた友情」を匂わせる効果もある。「大体友達」の「大体」のざっくり感も、その界隈の大らかさを感じさせて味わい深い。

 二つ目として、「マッシュ・バーンデッドと強めの魔法使い」という表現を挙げたい。これは、少年ジャンプで連載され、アニメにもなったギャグ漫画『マッシュル-MASHLE-』の第8話のタイトルである。同作の舞台は、誰もが魔法を使えるのが当たり前の世界。そんな中で、魔法を使えない主人公マッシュ・バーンデッドが、異常な強度の筋力によって魔法使いたちを圧倒し、無双するのが読みどころになっている。

 『ハリー・ポッター』的な世界観を前面に押し出しているため、各話のタイトルも「マッシュ・バーンデッドと〇〇」というハリポタ構文を踏襲している。「マッシュ・バーンデッドと怒らせちゃいけない人」(第5話)や「マッシュ・バーンデッドとモテない同級生」(第11話)など笑えるタイトルが多いが、私はこの「強めの魔法使い」に一番笑った。

 この「強め」も、先ほどの「悪そう」と同じく「ぼやかし系」だが、「強い」と断定するよりも「強め」と評価に幅を持たせたことで、相手の力量を冷静に見極めている感じが出ているように思う。ある意味「余裕系」のフワフワ表現と言える。

 三つ目は、柴崎友香の小説『寝ても覚めても』に出てきた「電話がかかってきたので、謝った」[注1]である。抽象度の高い言葉は何通りもの解釈を許す一方で、簡潔さを優先してディテールを切り捨てるという面もある。このフレーズは、まさにそういった「切り捨て系」の表現だ。

 上のフレーズのどこがフワッとしているのかと疑問に思う人もいるかもしれないが、この小説の語り手である主人公・朝子はもともと、自分が見聞きしたことや思ったことをきわめて詳細に語る人物だ。だからこそ、「謝った」の唐突な簡潔さが強く印象に残る。たとえるならば、いつも作文の宿題で余計なことばかり長々書いてきていた子が、ある日突然「今日は朝起きて、夜寝ました」の一文だけを原稿用紙に書いて提出してくるかのような違和感がある。

 しかも、この「謝った」というのは、朝子が相手に対してとんでもなくひどい仕打ちをした直後のことなのだ。自分に都合の悪いことについてはディテールをバッサリ省くという割り切りぶりが動物的で生々しく、読みながら戦慄したのを覚えている。私が知るかぎり、一番恐ろしいフワフワ表現である。

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