デビュー以来数々の文学賞を受賞してきた千早茜さん、その繊細で詩情豊かな文章で読者を魅了する千早さんのもう一つの魅力は、嗅覚鋭く美味しいものを感知する食への姿勢。そんな千早さんが「特別」と思うチョコレートにまつわるエッセイが今回からスタートします。西淑さんのイラストとともに、さまざまな顔をもつチョコレートを堪能してください。

 チョコレートは特別。

 子供の頃から、そう思っていた。親から与えられる菓子の中で、もっとも黒く、苦みもあって、おおよそ子供が好きそうな雰囲気ではないのに。

 自立して、親の許可を得なくとも菓子に好きなだけお金を使えるようになって、茶や酒といった無数の嗜好品を覚えても、やはりチョコレートは特別なままだ。なぜか。

 まず、カカオの香りがいい。代えのきかない芳ばしく甘い香りだ。ずっと嗅いでいると恋のように心臓がばくばくしてくる。けれど、カカオの香りだけならココアでもいいはずだ。なのに、毎日のようにチョコレートを口にしてしまうのは、その多様なテクスチャーによるものだと思う。ぱきり、と割れる。歯で砕ける。舌でまったりと溶ける。変化自在だ。そして、その溶け方は飴ともアイスともバターとも違う。チョコレートは溶けても艶を失わない。ショコラティエが大理石の作業台でテンパリングをする風景をご覧になったことがあるだろうか。溶けひろがったチョコレートは優雅にのたりと存在し、光沢を失わず、どこかチョコレートたる誇りを維持しているように見える。自分の口の中であの美しい融解が起きているのかと思うとうっとりする。

 溶けひろがったチョコレートはなにかに似ている。ずっと気になりつつも見つからないままだったが、ある人が「小さい頃、麦チョコを鹿のフンだと言い合って大笑いしながら食べていた」と言うのを聞いてはっとなった。『どろんこ こぶた』だ。やわらかい泥に沈むのが大好きな子豚の話で、小さい頃は何度も読んだ。ずぶずぶと泥に沈んでいく子豚の表情がなんとも気持ちよさげで、自分もああいうまったりとしたものに静かに沈んでいきたいと思った。あの泥と溶けたチョコレートは似ていた。

 
 

 昔、あんこ好きの上司が「僕が死んだら御座候のあんこを棺桶に詰めて欲しい」と言っていたことがあったが、私もかなうならばチョコレートの泉に沈んでみたい。バスタブでもいい。汚れることも、好物が無駄になることも、なにも考えず欲におぼれてみたいと思わせる悪魔的な魅力がチョコレートにはある。

 子供の頃、チョコレートで手や口や服を汚しては怒られていた。けれど、チョコレートの香りのする指先も髭のような口まわりも嬉しくて、ほんの少し得意だった。好きなもので汚れる悦びを幼い頃のほうが素直に享受していた。

 今は、執筆時にチョコレートは欠かせない。故に、私のゲラはときどきチョコレートで汚れている。訊かれたら、「チョコレートに汚されました」と答えるつもりなのに、まだ誰も言ってくれないのでチョコ愛をつらつら綴っていこうと思う。

千早茜(ちはや・あかね)

1979年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。2008年「魚」(受賞後「魚神」と改題)で第21回小説すばる新人賞受賞しデビュー。09年『魚神』で第37回泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞、23年『しろがねの葉』で第168回直木賞を受賞。近著に、西淑さんの挿絵も美しい短編集『眠れない夜のために』などがある。

Column

あまくて、にがい、ばくばく

デビュー以来数々の文学賞を受賞してきた千早茜さん。繊細で詩情豊かな文章で読者を魅了する千早さんのもう一つの魅力は、嗅覚鋭く美味しいものを感知する食への姿勢。そんな千早さんが「特別」と思うチョコレートにまつわるエッセイが今回からスタートします。西淑さんのイラストとともに、さまざまな顔をもつチョコレートを堪能してください。

2025.05.13(火)
文=千早茜
イラスト=西淑