『わるい食べもの』シリーズの食エッセイでもおなじみ、食いしん坊作家の千早茜さんが、子どもの頃から愛してやまないカカオの黒いお菓子。平たい一面しかないように見えるタブレットの魅力とは。

 さて、引き続き板チョコ(タブレット)の話をしよう。

 タブレット界の王者『BERNACHON』の重量感を賛美したが、板チョコは大きくて厚ければいいというわけではない。昔、「チョコ好きでしょう、たくさん食べられるよ」と、ノートパソコン並みの大きさの板チョコをもらったことがある。板チョコを縦横に過度に大きくした場合、その分の厚みを持たせなければ持った時に自重で割れてしまう。故に、大変に分厚く、非常に食べにくかった。いくら広大なチョコの地平を望めても、歯が食い込むだけでは駄目なのだ。バキッと軽快に齧り取れなければ。こういうことではない、と怒りに震えながら思った。私はこういった「ウケ狙い」感のある菓子を冒涜だと感じてしまう性分だ。菓子も料理もその食べ物に相応しいサイズ感というものがある。そもそも量や分厚さだけを求めるのなら製菓用のブロックチョコレートでいいのだ。では、製菓用のチョコレート塊と板チョコの差はなにか。それは、計算された溝である。

 板チョコの溝がなんのために存在しているか。これは、単に食べやすさのためだけではない。溝がないと液状のチョコレートを固めるのに時間がかかるそうだ。溝をつけて表面積を大きくすることで、早く、そして均一に固まり、結果、口溶けも良くなるという。型から外れやすくするためでもある。また、凹凸があることにより口に含んだ時に触れる面積の違いで、いろいろな香りや味わいを楽しめるらしい。確かに『Minimal』の板チョコを食べた時、溝による風味の違いに驚いた。産地別のカカオと砂糖のみで作られている『Minimal』の板チョコの溝は、均等ではなく方眼紙のようであったり細長かったりと数学の図形問題を眺めている気分になる。食感は一般的なチョコレートよりシャリ感があり、溝の多くある場所と少ない場所では鼻に抜けるカカオの香りや食感が変わってくる。食べる際はぜひ何種類か試してみて欲しい。一口にカカオといっても産地によってこれほどまでに多彩なのかと愕然とする。カカオの凄さがわかる板チョコだ。

 個性的な溝を持つ板チョコはここ数年で増えた気がする。私は小さい頃から板チョコが好きだったが、一人っ子ではなかったので板チョコの溝は分けるためのものだった。子供の時に『Minimal』を与えられていたら、かなりの難問だっただろう。子供の頃、衝撃だった板チョコは『LOTTE』の「霧の浮舟」と「紗々」だった。小学校の大半が海外生活だったため日本の製菓メーカーの恩恵をほとんど受けずに育った身には、驚愕の食感と形状の板チョコであった。「霧の浮舟」のエアインチョコのぽわぽわ感、「紗々」のメッシュチョコのはりはり感。ぽくっと割れて気泡が見えるチョコにも、織った布のようなチョコにも出会ったことはなく「魔法か!」と思った。特に、板チョコと呼ぶには小さい、個包装の「紗々」は特別感があり、苦手なホワイトチョコが半分を占めているにもかかわらず、霜柱を踏むような食感に夢中になった。シンプルにチョコを固めたものという認識の板チョコに誰があんな形状を思いついたのか。それも質を維持したまま大量生産できるなんて。日本の製菓メーカーの努力と発想は凄い。

 「紗々」に匹敵する板チョコの衝撃は大人になってからだった。フランスの『Franck Kestener』のタブレットである。正方形の美しいタイルのようなタブレットで、毎年新作のフレーバーを血眼で買っている。青林檎やクエッチ、ベルガモットといった果物を使ったものがお気に入りで、フレーズこと苺の定番は一年に一度は絶対に食べたい。割れば果実のジュレがとろりと流れでる。ジュレだけでなく、パートダマンド、プラリネ、ギモーブ、などフレーバーに合わせた様々なパーツが中に重ねられている。ケーキの如き層構造! しかし、タブレットなのだ。板状である。一センチにも満たない厚さの中での美味の層。おまけに、しっかり冷やして食べるとわかるのだが、齧りついてジュレがとろけだす直前、「パ、パリリッ」という薄氷を割ったような感触が歯に伝わる。よくよく断面を見ると、二種類の薄い薄いチョコレートの欠片があった。卵の殻のような薄さのチョコレートによる二層コーティングが施されていた。それ故の、儚き食感。こんな芸術品のような板チョコが存在するとは、と奇跡の断面にうっとりした。ショコラティエはチョコレートのアーティストだと凄さに震えた。

 平たい一面しかないように見える板チョコは、チョコレートの可能性のあらゆる面を映しだしてくれる。私はチョコレートの地平で凄い、凄い、と唸り続けている。

千早茜(ちはや・あかね)

1979年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。2008年「魚」(受賞後「魚神」と改題)で第21回小説すばる新人賞受賞しデビュー。09年『魚神』で第37回泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞、23年『しろがねの葉』で第168回直木賞を受賞。近著に、西淑さんの挿絵も美しい短編集『眠れない夜のために』などがある。

Column

あまくて、にがい、ばくばく

デビュー以来数々の文学賞を受賞してきた千早茜さん。繊細かつ詩情豊かな文章で読者を魅了する千早さんのもう一つの魅力は、嗅覚鋭く美味しいものを感知する食への姿勢。そんな千早さんが「特別」と思うチョコレートにまつわるエッセイが今回からスタートします。西淑さんのイラストとともに、さまざまな顔をもつチョコレートを堪能してください。

2025.09.09(火)
文=千早茜
イラスト=西淑