編集部注目の書き手による単発エッセイ連載「DIARIES」。今回は、働いていた喫茶店で起こる悲喜こもごもを描いたエッセイ『常識のない喫茶店』で商業デビューした文筆家・僕のマリさん。「突然知らない人から話しかけられるのが苦手」というマリさんですが、感情をどんどん分析していくと、そこには一筋縄ではいかない、自分自身も乗りこなせない複雑でいびつな感情があることに気づいたそう。自分の“本当の気持ち”は、一体どこにあるのか?

 よく、話しかけられる。道ばたで、スーパーで、飲食店で、旅先で、知らない人によく話しかけられる。卵売り場の前で「ねえ、これって底値?」と高齢の人に聞かれたり、うどん屋の列に並んでいると「あと三十分くらいですかねえ」と話しかけられる。要因としては、ひと言で言えば「話しかけても大丈夫そう」な雰囲気が出ているのだろうし、それを細分化してみれば、わたしが女性で三十代で小柄で服装も大人しそう、ということが「無害そうな人間」の条件を満たしているのだと推察できる。何よりわたしは、いつもぼんやり歩いているし。話しかけやすい雰囲気、というものはどちらかといえば良いものなんだろうけど、そっち側でいることにたまに疲れる。別にそうなりたいと思ったことは一度もない。

 三年ほど前に訪れたディズニーシーでは、もっとすごいことがあった。あの場所特有の高揚感に包まれていたわたしは、パーク内で販売しているキャラクターの帽子を購入して被り、アトラクションの列に並んでいた。その帽子は「トイ・ストーリー」シリーズに出てくるスリンキー・ドッグというキャラクターのもので、前から見ると犬の頭部分が帽子になっていて、後ろから見ると犬の胴体と尻尾が小さくくっついているファニーなデザインになっている。自分たちの後ろには若い男女が並んでいた。人気のアトラクションで小一時間は並んでいたが、途中でふと、自分の後頭部に違和感を覚えた。どうやら、後ろの奴らがわたしのスリンキー・ドッグの尻尾をこっそり引っ張って遊んでいるのである。スリンキー・ドッグの尻尾部分はバネでできており、びよよん、びよよん、という細かな振動が自分の頭越しに伝わってきた。あまりのことに驚いて声が出ず、一緒にいた夫も、やはり信じられない光景に驚いていた。あと数十分は一緒に過ごさなければならない他人の一部を触るなんて狂気の沙汰である。しかも、なぜか触られているこちらが恥ずかしい気持ちに襲われている。ほんの一瞬の出来事だったが、アトラクションに乗ったあとに「なんか……遊んでたよね?」と夫に再確認して、涙がにじむほど笑った。

 触ってきた人たちがいかれていたことは確かだが、仮にわたしが大柄でいかにも怖そうな人だったら(そんな人がディズニーで遊ぶかは微妙だけれど)そんなことはしないだろうし……と想像した。しかしながら、わたしは夫という若くはない男性と一緒にいたのに、よく果敢に挑んできたなとも感心する。普段夫と一緒にいれば、ぶつかりおじさんにも遭遇しないし、変な声かけもされない。かなり快適に過ごしている。これまで、「大人の男」という存在がいかに他人を牽制しているかを、身を以て感じてきた。だが、あいつらはそれを無視した振る舞いをしていた……。まあ、わたしだったら相手が子どもだろうが老人だろうが、絶対にできないことだけれど。

2025.08.26(火)
文=僕のマリ