記憶を確かめ直したときに初めて気づくこともたくさんある
尻尾で遊ばれた件は笑い話にはなったが、基本的にわたしは突然他人に話しかけられることが結構苦手である。苦手という感情を細分化していくと、その多くを「恐怖」が支配している。恐怖というのは、「想定していない相手からの接触」と「相手が異性だった場合、性的に搾取されるかもしれない」という可能性のことだ。まずわたしは、びっくりすることが苦手。いつもぼんやりしているせいか、びっくりの深さも他人の比ではない。寿命が縮みそうなほど心拍数が上がり、精神的にも身体的にもダメージを負ってしまう。そして何より、異性に話しかけられて怖い思いをした経験が数え切れないほどある。簡単に言うと、道を聞かれて丁寧に教えたら、道を聞きたいのは嘘で本当はナンパが目的だった、というような「優しくして損した」というパターンに辟易しているのだ。高校生の時、帰り道でおじさんに「困っているから少し電話を貸してほしい」と言われて携帯電話を貸したら(恐らく自分の携帯にかけて着信履歴にわたしの番号を残した)、その後しつこく電話やショートメールを送ってこられたこともあった。すぐ着信拒否にしたって、またあの場所でその人に会うかもしれないことを考えると、恐怖が継続した。他人に親切でありたいのに、その気持ちを踏みにじるようなことをされ続けると、警戒が先立つのはごく自然なことだと思う。
この感情についてさらに掘り下げていくと、「他人とのコミュニケーションや出会いを楽しむ場面を失っている現状」と、「誰かに親切にすることを惜しむ自分」に嫌気が差していることも悲しいのだと気づく。リスクを回避したいが為に嫌な思い出に負け続けて、少しずつ感じの悪い人間になっていって、きっとそれが心底悔しい。悪意を向けてきた(当人にとっては「悪意」ではないのだろう、ということがまた厄介だけれど)方は、他人を騙そうとしたことなんて忘れてのうのうと生きているんだろうということを考えると、またやるせない。思い出すたびに内臓がぐつぐつする。
つらかったこと、腹が立ったことというのは、思い出すだけでも気力が削られてしんどい。しんどい時期に聴いていた曲ですら聴けない。なまじ記憶力がよすぎるせいで、思い出したくないことも強烈に覚えてしまっている。マイナスの感情に引っ張られて、途中で思い出すのをやめてしまうことがほとんどだ。それでも、どうして嫌だったのか、そのときどんな状況だったのか、何故そんなことになったのか、落ち着いてひとつひとつ検分していくと、「自分は悪くなかった」「どうしようもなかった」と気づくことも少なくなかった。思考が停止してしまうと、事実と憶測を切り離して考えることが難しくなる。しかし、記憶を確かめ直したときに初めて気づくことというのは、たくさんあるのだった。
2025.08.26(火)
文=僕のマリ