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現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。
建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。
そんな知的発見に満ちた灯台をめぐる旅、今回は直木賞作家・安部龍太郎さんが富山県黒部市の生地鼻灯台を訪れました。
» 外つ国と能登半島の交流の歴史を語る、石川県珠州市・禄剛埼灯台への旅を読む
富山と北海道のつながり
翌朝十時、台風の影響が残る曇り空の中を生地鼻灯台に向かった。富山県の黒部川の河口に位置する灯台で、富山湾の西から東にぐるりと回ることになる。車で2時間以上かかるが、3カ所目の訪問先としてこの地を選んだ。
着いたのは正午を過ぎた頃。狭い道を右に左に折れながら進むと、海辺に近い所に生地台場跡があった。嘉永4年(1851)に加賀藩がロシア艦船の来攻に備えて築いた、幅8メートル、高さ2.5メートル、長さ63メートルの砲台で、五門の臼砲を備えていた。
臼砲という名の如く、口径が大きく砲身が短いずんぐりした旧式の大砲で、軍艦との戦いに役立つとは思えない。おそらく幕府に海防を命じられて言い訳程度に作ったのだろうが、重要なのは生地がその場所に選ばれたということだ。それはこの地が海上交通の要所であったことを端的に示している。
生地鼻灯台は台場跡から300メートルほど南にあった。灯塔を白黒二色に塗っているのでパンダ灯台の愛称で呼ばれている。大雪が降った時や霧が出た時にも目立つように二色に塗り分けたらしい。
高さが30メートルもあるのは、標高が2メートルほどしかない低地に建てられているためで、まわりを民家に取り囲まれているシティボーイ君である。光達距離は約30キロメートルで、点滅の間隔は10秒。
8秒、3秒、10秒、3つの灯台に差があるので、船乗りたちはその間隔を見ただけでどこの灯台か分るのである。
2023.01.10(火)
文=安部龍太郎
撮影=橋本 篤
出典=「オール讀物」2022年12月号、「オール讀物」2023年1月号