この記事の連載
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現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。
建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。
そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2021年に『星落ちて、なお』で第165回直木三十五賞を受賞した澤田瞳子さんが高知県の足摺岬灯台を訪れました。
》安倍龍太郎さんの“灯台巡り”の旅、全6回の第1回を読む
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弘法大師・空海に由来する足摺岬
高知の灯台の旅も、いよいよ最終日。低気圧が近づきつつあるため、昨日までのような快晴ではない。それでも空にたなびく雲はまだ細く、陽射しもじりじりと強い。
本日訪れるのは足摺岬灯台。高知市内からは高速を使っても、車で約三時間かかる。昨日、高知県の東端・室戸岬灯台にうかがったのに引き続き、今度は県の西端までの灯台を求めてのロングドライブだ。
昨日は往路・復路ともに、道の片側にずっと海が見えた。しかし今日は高速道路が内陸部を通っているため、辺りの風景はずっと山ばかりだ。
「カーナビによると、ここが足摺岬までの最後のコンビニみたいですよ。寄っておきましょう」
運転してくださったカメラマンのH氏がそう仰って、車を駐車場に入れる。店の前の道の果てには海が青く光っており、その明るさが三時間のドライブを経た目に懐かしく映った。
コンビニを出てたどりついた足摺岬駐車場のぐるりには、背丈の低い藪椿が一面に生い茂っていた。艶やかな葉の輝きが、この地が高知県の中でも極めて温暖であることを物語っている。
「こういう椿は、いかにも南国に来たって感じですねえ」
呟いたわたしに、同行の編集者T氏が「えっ、そうなんですか」と目を丸くした。
「えっ、そう思いません?」
とびっくりして尋ね返したが、考えてみればT氏は鹿児島県出身。京都生まれ京都育ちのわたしとは違い、南国育ちのT氏には椿の群生はまったく日常的な風景なのだ。同じ景色でも見る人によって受け止め方が違うと気づかされた。
足摺岬は古くは足摺埼とも呼ばれていたが、これは一説には、昨日からあちこちでお目にかかっている弘法大師・空海に由来する。唐で修行を積んだ帰りの船中、空海が有縁の地を求めんがために法具・五鈷杵を投げたところ、それがこの地に突き立った。空海が五鈷杵を追って、山嶺断崖に隔てられたこの地に足を引きずり引きずりやってきたため、「足摺」の地名がついたというものだ。
2024.04.04(木)
文=澤田瞳子
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年3・4月号