この記事の連載
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現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。
建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。
そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2020年に『熱源』で第162回直木三十五賞を受賞した川越宗一さんが北海道の恵山岬灯台を訪れました。
》安倍龍太郎さんの“灯台巡り”の旅、全6回の第1回を読む
》阿部智里さんの“灯台巡り”の旅、全3回の第1回を読む
》門井慶喜さんの“灯台巡り”の旅、全3回の第1回を読む
異なる文化の出会いが集積して生まれていった北海道
北海道の歴史は古い。
石器時代から人類が住んでいて、時が降ると縄文文化がたいへんに栄えた。狩猟採集の恵みが多い地だったためか、稲作を行う弥生文化は広がらず、本州以南の古墳文化の影響を受けて擦文文化に移行した。
五世紀ごろ、樺太からオホーツク文化人がやってきた。アリューシャン列島に住んでいたアレウト人に似ているとも、アムール川下流域で暮らすウリチ人に近いとも、同地域から樺太に居住するニヴフ人の先祖ともいわれる。彼ら彼女らは漁労を行い、ヒグマの頭骨を祭りながら、北海道の北東岸に定住した。
擦文文化はオホーツク文化を吸収し、また他文化圏との接触で生活の形を変えてゆく。おそらくその後継としてアイヌ文化は現れた。その特徴はさまざまにあるけれど、異なる文化の出会いが集積して生まれたという成り立ちに、ぼく個人は注目している。
和人は鎌倉時代ごろから本格的に北海道へ進出する。渡島半島に道南十二館と総称される拠点を築き、北海道や大陸、本州以南の産品を交易した。
松前藩に伝わっていた硯が現代まで残っている(松前町郷土資料館所蔵)。樺太のアイヌ民族から入手したもので、三国志の英雄、曹操が建てた銅雀台という宮殿の瓦で作られているという。由来の真偽は定かでないが、時間と距離を越える出会いを北海道が媒介していたとは想像できる。
アイヌと和人の出会いは、残念ながら軋轢が多かった。十五世紀にはコシャマインが蜂起し、和人の館を次々と攻め落とした。花沢館にいた武田信広という人がコシャマインを討ち、蜂起は終結に向かう。信広の子孫が開いた松前藩は明治まで存続するが、アイヌにたいしてむごい収奪を行った。
そんな歴史が展開した北海道で、ぼくはあちこち寄り道しながら灯台を巡っている。
2023.12.14(木)
文=川越宗一
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2023年12月号