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夷王山には、アイヌ文化に由来する出土品も

 上ノ国町の海辺にある夷王山に立ち寄ったのは旅の二日目。江差の鴎島灯台を訪れた後のことだった。

 到着は午後四時くらい。標高百五十九メートルの夷王山は、青く晴れ渡った空と藍色に広がる海の間で、光る夏草に覆われていた。

「夕陽がきれいと聞いたのですが」

 山をぶらぶら歩いていると、旅程をアレンジしてくれた担当編集者が申し訳なさそうに切り出した。

「きょう、夏至なんです」

 なるほど夏至。ぼくはしきりにうなずいた。正確を期すれば一年で最も日の入りが遅い日はもうちょっと後らしいが、夏至と言われたほうが夕陽との隔絶を実感できた。

 夷王山には、先述した武田信広が築いた勝山館という日本式の山城があった。いまは「勝山館跡ガイダンス施設」が建ち、飾り気のない名称とは裏腹に充実した展示で往時の繁栄を教えてくれる。

 勝山館と周囲の墳墓群、集落を含む広大な遺構からは、さかんな交易を思わせる国内外の陶磁器、暮らしぶりを伝える日用品など十万点以上が出土している。骨角器、祈る対象に酒を捧げる祭具「イクパスイ」、所有者を示すしるし「シロシ」が入った器など、アイヌ文化に由来する出土品も数多い。また墓地にはアイヌの葬法に従った墓がある。

 勝山館では和人とアイヌが共存していたと推測されている。喧嘩くらいはあったはずだし、望まぬ場所に住むしかなかった人もいるだろう。けれど、出土品の状態と量から考えれば、排除や強制のない時期が長く続いたことは間違いなさそうだ。出会いは軋轢ばかりではないのだ、と思いたい。

 なお、夷王山では毎年、アイヌ式の儀礼でコシャマインの慰霊祭が行われている。そこでは和人を含め、かつての戦いで命を落とした人々が隔たりなく弔われている。

2023.12.14(木)
文=川越宗一
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2023年12月号