この記事の連載

恵山岬灯台の周りには、芝生が広がる

 鴎島灯台でもお世話になった海上保安庁の髙橋潤さんが待ってくださっていた。背筋はぴんと伸び、物腰と笑顔は穏やかである。こんな大人になりたかったな、とつい思ってしまう。

 髙橋さんの案内で灯台に入る。空気はひんやり冷たく、やや湿気があった。長い階段を登ると足音が大きく響いた。

 塔の中心は太い筒が上下を貫いている。昔は中に錘があって、その重さで綱を引っ張って光源を回転させていた。下がり切った錘は人間がハンドルを回して巻き上げていたそうだ。

 最上階の灯室には、プリズムとレンズを円柱状に成型した不動レンズが鎮座している。銘板によると昭和二十四年製、塔も同時期の再建である。レンズの基台は耐震機能を備えた真新しいもので、点灯は外光を検知するセンサーで行う。新旧の技術がすんなり同居していて興味深かった。

 灯室から外を眺める。灰色の海はずいぶん下にあり、ざらざらと波が立っている。垂れこめる雲はなんだか近い。ぼくは高所恐怖症というほどではないが、高いところはそれなりに怖い。髙橋さんが「外に出ましょう」と柔らかい笑顔でおっしゃる。ぼくはコクリと頷いたが、たぶん顔はこわばっていた。

 とつぜん、ガアンと大きな音が聞こえた。バルコニーへ出る金属の扉が開かないらしい。髙橋さんは屈強なご自身の肉体を何度も扉に叩きつけ、そのたびに「おかしいですね」と穏やかに微笑む。けっきょく扉は開かなかったのだが、灯台も髙橋さんも丈夫だなと思った。かくあってこそ日本の海は守られている。

 恵山岬灯台は百三十余年前、鉄塔灯台として建設された。北海道は冬に建設作業ができないから、別の場所で作った鉄のパーツをくみ上げる方式で工期を短縮した。といっても当時は道路がなく港も遠い。パーツは輸送船で沖まで運び、揺れる海上で小舟に積み替え、岩だらけの海岸からロープで崖の上まで引き上げていたという。話を聞くだけで当時の苦労がしのばれる。

 海路を守る灯台は軍事的な価値も有する。太平洋戦争では日本各地の灯台が攻撃目標となった。苦労して建てられた恵山岬の鉄塔灯台も空襲に見舞われ、機能を失った。幸いにもすぐ戦争が終わり、数か月で仮点灯に至る。平和な戦後に再建されたのが現在の白い塔だ。

 恵山岬灯台の周りは、芝生の広がる公園として整備されている。天候が良い日なら景色をゆっくり楽しめるだろう。

2023.12.14(木)
文=川越宗一
写真=橋本篤
出典=「オール讀物」2023年12月号