漫画家で「アンパンマン」の生みの親、故やなせたかしさん(1919~2013年)の人生には3頭のライオンが深く関わっている。高知県南国市で育った家にあったライオンの石像、就職した日本橋三越本店の正面玄関にあったライオン像、さらに出世作となった絵本『やさしいライオン』(フレーベル館刊)だ。このうち、やなせさんの考え方や人生哲学に大きな影響を与えたのは故郷のライオンという。本人も「全ての原点でぼくの人生の出発点、アンパンマンの生みの親の親」と書き残している。

 だが、この石像の存在は長い間ほとんど知られることもなく、空き地の片隅に放置されていた。“発見”したのは近所に住む「小学5年生」だった――。

 空き地にくすんだ石像のライオンがポツンとたたずむ。子供の胸元ほどの高さ。首を傾げるようにして横を向き、くるんとした目が印象的だ。

 知らない人が見たら不思議な光景だろう。だが、物心ついた時からその状態だったので、山島孝仁(たかひと)さん(33)にとっては日常の風景でしかなかった。

「屋内で家続きになっている祖父母の家は、道路を挟んだ斜め向こうに空き地があり、石像はその空き地の端にあるブロック塀の横に置かれていました」

「あれは何?」。幼い頃、祖父に尋ねたことがある。

「空き地には昔、柳瀬医院があったから、柳瀬先生のものだったのだろうね」と教えてくれた。「柳瀬先生」とはやなせたかしさんの伯父・寛さんのことだ。少年時代のやなせさんもここに住んでいた。

「ふーん、そうなん」。当時の山島少年は深く考えることもなかった。

 その後の2002年、南国市立後免野田(ごめんのだ)小学校の5年生だった時、クラス全員で「キミが主役だ!NHK放送体験クラブ」に参加した。地元のことを調べて模擬ニュースを制作体験する事業で、全国のNHK放送局が小学校の高学年を対象に行っていた。

 当時の5年生は山島少年を含めて当初19人、転校生が1人増えて卒業時は20人という小ぢんまりした学級だった。

 取材したテーマは二つ。同小を卒業した大先輩のやなせさんと、同年7月1日に開業した鉄道「ごめん・なはり線」だ。ごめん・なはり線は第三セクターの「土佐くろしお鉄道」が経営し、小学校のすぐ近くを高架で通る。開業に向けて、やなせさんが当時の全20駅にそれぞれキャラクターを描いていた。

2025.07.14(月)
文=葉上太郎