〈『アンパンマン』誕生の裏にあったおそろしい“飢餓体験” やなせたかしが“顔を分け与える”ヒーローを生み出した理由〉から続く
“アンパンマン”の生みの親であり、朝ドラ『あんぱん』のモデルにもなったやなせたかしさん。幼い頃に父と死別、母の再婚をきっかけに伯父の家に引き取られたやなせさんは、寂しい気持ちが抑えられなかったと言います。
やなせさんの著書『わたしが正義について語るなら』(ポプラ社)より、孤独だった思春期、そして若くして亡くなった弟・千尋さんへの思いを語った箇所を紹介します。(全4回の2回目/最初から読む)

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戦死した弟・千尋への思い
弟の千尋のことはとてもいろいろな思いがあって、ぼくは「おとうとものがたり」という一連の詩を書いています。先ほどの母との別れの詩もその中の一つです。
弟はとても可愛らしく快活でした。一方のぼくは顔が良くないし、人見知り。強情でひねくれて子どものくせに妙に陰気で暗い。
それから弟は先に柳瀬家の養子になっていたので奥の部屋で伯父夫婦と川の字で眠り、兄のぼくは玄関横のつめたい書生部屋で眠るという違いもありました。当時はあまり気にしてはいませんでしたが、何か子ども心に思うことがあったかもしれません。弟はぼくが戦争から戻った時、戦死していました。頭が良くて勉強ができ京都大学を卒業後、海軍特攻隊を志願していたのです。
弟との思い出はたくさんありますが、やっぱり仲良くしたことよりもけんかしたことを覚えているものですよね。
2025.06.30(月)
文=やなせたかし