「思春期と反抗期は相当グレていました」
ぼくの第二の父母となった伯父と伯母はとても良い人でした。ぼくはいつの間にか「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになり、何も不自由なく育てられました。
でも子どもの時に伯父と伯母の愛が理解できていたとはいえません。たとえ肉親でも、実子ではない子どもを育てるのがどれだけ大変なことか、ずっと後になってから思い知りましたが、後悔しても手遅れで申し訳なく思います。
孤独で寂しい気持ちは絶えずあって、幼い頃はともかく、思春期と反抗期は相当グレて危険な精神状態にありました。毎日どうしてあんなに涙が出るのかというほど泣いていましたが、その原因はまったく覚えていません。
自殺しようとしたこともあります。
死のうと思って夜の線路に横たわりました。電車が近づくと怖くなって逃げ出したのですが……。

家出しようと、隣の木材所にずっと隠れていたこともあります。町の消防隊を中心にして捜索隊が組織され、ぼくの名前を口々に呼びながら捜しまわるという大騒動になり、出るに出られず本当に困りました。空腹に耐えられなくなって夜中の三時に家に帰ったのですけれどもね。
伯父は「よく帰ったな」と一言。伯母は泣きくずれて「もう二度と𠮟らない」と言いましたが、ぼくがマンガ家になったずーっと後まで、ぼくの顔を見るたびに「あのときのタカちゃんは」と言われ続けることになります。
ときどきニュースで少年少女の自殺の記事を見かけます。ぼくには他人ごとではありません。一歩間違ったらぼくも死んでいたかもしれないと思う時があります。
大人になればとるに足らない些細なことも、小さな蟻にとってはちっぽけな水たまりが生命に関わるように、深く傷つき絶望してしまいます。そんなこともあって、ぼくはとても扱いにくい手のかかる子どもだったことは間違いありません。
ところが、中学校を卒業する頃からコトンと憑き物が落ちたように優しい性格になりました。特に兵隊に行って文字通り鍛え直されてからは温和になりました。伯母は「タカちゃんは、ずいぶん変わった」とよく言います。昔は手に負えなかったという意味でしょうね。
2025.06.30(月)
文=やなせたかし