ライオンが少しでも名作に見えるように……嵩と千尋の“工夫”
やなせさんと弟の千尋さんは毎日、この石像に米のとぎ汁をかけた。「苔(こけ)をびっしり生やして緑色のライオンにしようと思った」(『オイドル絵っせい』)のだという。後免野田小のPTA会報には「『その松の木の根元にでも置いちょいとうせ、そのうち苔が生えて名作みたいに見えるかもしれんきに』なんて言ってました」と書いており、気の毒な親方のために少しでも名作に見えるようにしようとしたのかもしれない。
親方の不幸はこれだけで済まなかった。やなせさんの連載によると、「間もなく石屋の親方は泥酔して事故に遭い死んでしまった。一家は離散した」という。
生みの親も、居るべき場所も失って、よそに預けられ、ぽつんと庭にたたずむライオンの石像。
やなせ少年には他人事に思えなかったのかもしれない。
撮影 葉上太郎
〈戦後、ひとりぼっちになったやなせたかしさん…ライオンの石像、三越ライオン像、『やさしいライオン』の3頭が運命の歯車を動かし始めた〉へ続く

2025.07.14(月)
文=葉上太郎