“アンパンマン”の生みの親であり、朝ドラ『あんぱん』のモデルにもなったやなせたかしさん。青年時代に第二次世界大戦が勃発し、21歳で徴兵された経験は、その後の作家人生に大きな影響を与えることになりました。

 やなせさんの著書『わたしが正義について語るなら』(ポプラ社)より、のちの“アンパンマン”誕生に繋がる「飢えの体験」について語った箇所を紹介します。(全4回の1回目/続きを読む

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「一番辛いのは食べられない、餓えるということ」

 みなさんは、今は身近に戦争がないので本当に餓えることが分からないというかもしれません。でも、戦争じゃなくても飢えの体験は誰にでも起こります。例えば山の中で道に迷った人のニュースを聞くことがありますね。食べるものがなくて、谷川の水を飲んでやっと生き延びた人たちもいます。それから地震で家の下敷きになることだってありうる。その時に100万円をあげますと言われても全然嬉しくない。一切れのパン、一杯の水の方がずっと嬉しいはずです。飢えがどのくらい辛いかなんて、10日くらい食べないでいればすぐに分かります。

 ぼくが飢えを実感したのは兵隊として戦争に行った時でした。兵隊は大変なんですよ。泥の中を這いずり回らなくてはいけませんし、毎日訓練もします。ぼくらは野戦銃砲隊という大砲の部隊で、大砲に一番大きな弾丸を込めて持って歩く。大砲は重いので、大変な重労働です。ヘトヘトになるんですね。

 しかし若いから、重労働は一晩寝ればなんともない。それ以外にも辛い訓練があって毎日殴られるけれど、それにも耐えられる。

 耐えられないのは何かというと、食べるものがないということだったのですね。それ以外のことは、けがをしても薬をつけていれば治るし、たいていのことは我慢できるのだけれど、ひもじいということには耐えられません。なんでもかんでも食べたくなっちゃう。一番辛いのは食べられない、餓えるということだったんです。

2025.06.29(日)
文=やなせたかし