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現在、日本に約3,300基ある灯台。船の安全を守るための航路標識としての役割を果たすのみならず、明治以降の日本の近代化を見守り続けてきた象徴的な存在でもありました。
建築技術、歴史、そして人との関わりはまさに文化遺産と言えるもの。灯台が今なお美しく残る場所には、その土地ならではの歴史と文化が息づいています。
そんな知的発見に満ちた灯台を巡る旅、今回は2021年に『星落ちて、なお』で第165回直木三十五賞を受賞した澤田瞳子さんが高知県の高知灯台を訪れました。
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海上の孤独を癒す頼もしい存在
灯台という言葉には、どうしても神秘的な響きを感じずにはいられない。
もともと海とは隔たった土地に生まれ育ったわたしにとって、灯台とは様々な小説や随想、はたまた絵画やコミックといった作品の中で接するものだった。
山本周五郎の少年小説「廃灯台の怪鳥」では灯台という閉じられた空間の気配に憧れ、海に落とした時計を間欠的に降り注ぐ灯台の灯を頼りに家族総出で探す「サザエさん」の一話には、真っ暗な海に差すその眩い輝きを思い、わたしまで目が眩む思いをした。中でも印象深いのは、高校生の頃に読んだ澁澤龍彥『私のプリニウス』の一節。世界七不思議のひとつ、地中海沿岸のエジプト・アレクサンドリアにかつて存在した大灯台について記した箇所だ。この灯台は紀元前二五〇年頃、アレクサンドリアの港にほど近いファロス(パロス)島に建てられたもので、古代ローマに生きた博物学者・プリニウスの筆を信じれば、灯台にはそれを建てた建築家・ソストラトゥスの名が彫り付けられ、「夜間の船舶の航行の際、浅瀬に対する警告を与え、港口を示すことによって航路標識の役を果たして」いた。
灯台は基礎部分は一辺三十メートルの方形で、その上に八角形の塔、更に円錐型の塔が乗った三層構造で、高さは一説には総計百三十メートルあまり。てっぺんにはポセイドンの巨像まで立っていたという。塔内で燃やした炎を反射鏡で拡大するため、その輝きは五十キロ先からも見えたらしいが、残念ながら七九六年に発生した地震で倒壊してしまった。
高さ百三十メートルと言えば、札幌のテレビ塔に近い。今から二千三百年も昔にそんな巨大建造物が作られ、しかも港を出入りする船を守っていたとの記述に、歴史好きの高校生だったわたしはすっかり虜になってしまった。今はもうその灯台はあとかたもないという儚さが、わたしの夢想に更に拍車をかけた。
レーダーもGPSもなく、灯りといえば松明や灯火だけが頼りだった古しえ、海をゆく船中の人々の眼に、夜の海の闇はあまりに深く、また恐ろしいものと映っただろう。「その明かりを遠くから見ると星に似ている」とプリニウスは記すが、灯台にきらめく人工の星は、そこに確かに人間が―土地がある事実を知らしめ、海上の孤独を癒す頼もしい存在だったに違いない。
ちなみにファロス島の大灯台ゆえに、ギリシア語のΦάρος(pharus)は灯台そのものの語源となった。ドイツ語ではPharus、英語ではpharos、イタリア語ではfaro。ファロスの大灯台は形を変え、今日もなお世界中に生き続けているのだ。
2024.01.25(木)
文=澤田瞳子
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年1月号