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偉人が見守る豊饒の海

 文藝春秋の担当者さんから、「澤田さん、灯台に関心はおありですか?」と聞かれた時、真っ先に思い浮かべたのはサザエさん一家の、そして二千数百年前の船乗りたちを導いた灯台の灯りだった。思えば灯台には強い憧れを抱いている癖に、わたし自身はほとんどそれに接したことがない。彼らが見たであろう灯台の輝きに、少しでも触れてみたい。気が付いた時には、後先考えぬまま、「はい!」と元気よく返事をしていた。

 というわけでわたしがうかがうことになったのは、高知県。広い太平洋に面し、まっすぐ行けばアメリカ大陸。古くより捕鯨やマグロ漁、はたまた宝石サンゴの採取など、海の恵みを豊かに受け続けてきた土地である。

 ただわたしが高知県に行くと決まった理由は、それだけではない。実はこの地は弘法大師の別号を持つ平安時代の僧・空海とゆかりが深いのだ。

 空海はもともと讃岐国(現在の香川県)出身、早くに都に上り、役人となるべく十年間も学問を積んだが、ある日、突然すべてを擲って出奔する。後に空海自身が記した『三教指帰』という書物によれば、そのきっかけは彼が一人の僧侶から、知恵を司る虚空蔵菩薩の求聞持法を授けられたこと。以来、空海はあちらこちらで修行を重ね、「阿国(阿波国・現在の徳島県)大滝岳にのぼり、土州(土佐国・現在の高知県)室戸崎に勤念す。谷、響きを惜しまず、明星、来影す」という経験をした。明星とは虚空蔵菩薩の化身と見なされ、高知県室戸岬は空海大悟の場の一つとされている。

 つまり洋の東西を問わず古代史を愛するわたしにとって、高知県はいささか散漫すぎる好奇心を幅広く満たしてくれる場所。そして人を導くはるかなる星という一点において、灯台と空海の経験には共通項がある。

2024.01.25(木)
文=澤田瞳子
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年1月号