11月14日公開の映画『ブルーボーイ事件』は、1965年、性別適合手術(当時の呼称は性転換手術)を行った医師が逮捕され裁判にかけられた事件に着想を得て作られた。検察の目的は、手術を受けたトランスジェンダー女性たち、通称「ブルーボーイ」たちを売春の場から一掃することだった。そうして性別適合手術の違法性を争う前代未聞の裁判に、手術を受けた女性たちが証人として出廷する。

 飯塚花笑監督へのインタビュー後編では、性的少数者の姿を描き続ける理由、映画製作のうえで提案された「当事者キャスティング」について話をうかがった。


性的少数者の姿を描き続ける理由

――新作『ブルーボーイ事件』は、かつての日本で生きたトランスジェンダー女性たちをめぐる話です。飯塚さんの映画では、これまでもさまざまな形でセクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の方々の話が描かれてきました。

 『僕らの未来』では性同一性障害を抱える高校生が主人公で、『フタリノセカイ』はシスジェンダー女性とトランスジェンダー男性のカップルの話。『世界は僕らに気づかない』は、フィリピン人の母親をもつゲイの男子高校生が主人公です。一貫してセクシュアル・マイノリティの人々を描いてきたのには、トランスジェンダー男性であるという飯塚さん自身のアイデンティティが大きく関わっているといえるでしょうか?

 それはたしかに関わっていると思います。初めて長編映画を作れるとなったとき、まずは自分が今まで生きてきたなかで消化しきれないものを吐き出してしまおうと、自分の姿を投影した『僕らの未来』を書き始めました。

 でも脚本を書きながらも、やっぱり迷いが生まれてきました。本当に今これが一番描くべきことなんだろうかって。そこで背中を押してくれたのは根岸吉太郎さんでした。迷いがあると伝えたら「あなたの心の中に瓦礫があるなら、まずはその瓦礫をどけてみなさい。そうしないと次に何が出てくるかわからないよ」と言われて。今思うとずいぶんとキザな言葉ですが(笑)、その言葉があったから、『僕らの未来』を作り上げられたなと思います。

 一作作り上げた後も、心の中の瓦礫は降り積もり続けました。ひとつ瓦礫をどけてみてもまた別の瓦礫を見つけたり、どけたはずの瓦礫がまだ残っていることに気づいたり。それでどうしても切り口が性的少数者になっていくのかな。自分では、早く全部の瓦礫をどかしてしまいたいとずっと思ってはいるんですけどね。

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