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弘法大師の七不思議

 足摺岬駐車場の真向かいには、四国八十八ヶ所霊場第三十八番目札所・金剛福寺が建つ。弘仁十三年(八二二)、嵯峨天皇の勅願によって建立された古刹だ。

 ちなみに高知は四国の他県に比べて、八十八ヶ所霊場同士の距離が遠い傾向がある。またひたすら海岸線ばかりを歩く道も多く、「修行の道場」の異名を持つという。金剛福寺はそんな高知でも、両隣の札所からの距離がもっとも遠い寺で、三十七番札所・岩本寺からは約九十キロ。三十九番札所・延光寺からも約六十キロ離れている。空海でなくとも、足を引きずりつつ向かわずにはいられぬのが、この地というわけだ。自分が車で揺られるだけでたどりつけたことに、つくづく感謝せねばなるまい。

 岬先端に建つ足摺岬灯台までは遊歩道が整備されており、椿の藪のそこここに空海関連の伝承が残されている。

 今日は地元、土佐清水市観光ボランティア会の中山靖子さんが、そんな空海七不思議をご案内下さるという。もっとも「七不思議」とは言葉の絢で、実際には二十以上の珍物奇景があるそうだ。

 遊歩道に一歩踏み入った途端、陽射しが遮られ、冷気が肌を撫ぜる。藪椿を含め、辺りの木々が軒並み背丈が低いのは、太平洋から吹き付ける風の強さゆえだろう。

「まず、これが足摺七不思議の中でももっとも有名な亀石です。亀そっくりでしょう? でも、これは完全に自然の石なんですよ」

 亀石と言えば、わたしはすぐ奈良県明日香村にある同名のそれを想像する。あちらは伏せた亀を上からみたような形をしているが、こちらは首を上げた亀を横から見た形に近い。

「この亀石はこれまた七不思議の一、空海さまが海中の岩場に渡るため、海の亀を呼んだ亀呼場の方角を向いています。それとこれはご夫婦の方によくお話しするんですが」

 中山さんが一瞬言葉を切った。わたしは好奇心に駆られ、「何でしょう?」とつい合いの手を入れた。

「この亀の頭を撫でると、男性は元気になるそうです」

 下ネタかい! と関西弁でつい突っ込みそうになった。ただここは本来、空海ゆかり―ということは仏教ゆかりの地だ。邪淫は本来、御仏の戒むるところ。ならば「男性が元気」は仏教の教えに背く話だが、南国のエネルギー溢れるこの地で聞くと不思議に違和感がない。

 中山さんはその他にも、空海が爪で「南無阿弥陀仏」と彫ったという「爪書き石」や、小銭を落とすと小鈴にも似た音色を立てる「地獄の穴」をご案内くださった。「亀呼場」では、二人して「おかめさーん!」と叫んでウミガメを呼びもした。残念ながら小亀一匹、出て来てくれなかったけれど。

2024.04.04(木)
文=澤田瞳子
写真=橋本 篤
出典=「オール讀物」2024年3・4月号