高速バスに乗って長崎県は佐世保市へ
場所選びは私に一任された。
日本全国どの灯台を選んでもらってもいいけれど、この「海と灯台プロジェクト」ではまだ九州の灯台にご登場願ってないんですと担当編集者に耳打ちされたとき、私は即座に彼女の意図を察した。
私は福岡に住んでいる。餅は餅屋、九州の灯台は九州の作家というわけだ(その後、恩田陸さんがひと足先に北九州の部埼(へさき)灯台を取り上げました)。
じつのところ、気になる場所はなきにしもあらずだった。問題はそこに灯台があるかどうかだが、ググってみると、おあつらえ向きなのがあった。草原の涯(は)てに建つ、なかなかに可憐なたたずまいの灯台が。
私の胸にリベンジの青白い炎がともった。ただし私の訪れたい灯台だけでは少々引きが弱いので(その弱さもまたこの灯台の魅力なのだが)、ついでにあともうひとつふたつ別の灯台をくっつけてもいいかと打診された。もちろん、異存はない。
それで話は決まった。二〇二五年十月五日、私は残暑厳しい福岡を発ち、高速バスに乗って長崎県は佐世保市へと単身向かったのだった。
待ち合わせ場所のレンタカー店では、すでに早朝便で東京から飛んできた担当編集者の五十畑さんとカメラマンの橋本さんが車を用意して待っていた。
灯台旅の皮切りは高後埼(こうごさき)灯台だが、腹が減っては戦はできない。まずは腹ごしらえをすることにした。
せっかく佐世保くんだりまで来たのだから、ここはいっちょ佐世保名物でも食べようと衆議一決したものの、なにぶん大好天の日曜日で佐世保バーガーの店は長蛇の列、長崎ちゃんぽんの店は休みだった。けっきょくなんの変哲もない食堂で、「海軍さんのビーフシチュー」なるものをいただいた。ビーフシチューは肉も柔らかで美味しかったが、いったいどのへんが「海軍さんの」なのかは判然としなかった。
高後埼灯台を案内してくれる佐世保海上保安部の方たちとは九十九島観光公園で待ち合わせをしていたのだが、五十畑さんがさっそく時間を読み違えて、私たちは約束の時間に三十分も遅れてしまった。そんなふつつかな私たちを嫌な顔ひとつせず出迎えてくださったのは、次長の二瀬さんと地域海難防止対策官の吉谷さんである。
高後埼灯台はいわゆる観光灯台ではなく、一般人は立ち入ることができない。フェンスゲートの脇に掲げられた説明書きによれば、この灯台が建っているのはどうやら砲台の跡地のようだった。
明治三十一年の十二月に完成した陸軍佐世保要塞最初の砲台は、日露戦争に備えてフランス製の斯加(しか)式九センチ速射加農砲四門が配備されたが、けっきょく実戦を経験することなく昭和九年に廃止されたと案内板に出ていた。砲台なんて出番がないに越したことはないので、これは誰にとってもいいことだったはずだ。
吉谷さんがフェンスゲートを解錠し、私たちがマムシに咬まれないように木の枝で草叢をつつきながら先導してくれた。二瀬さんは、私たちがイノシシに襲われないようにしんがりを守ってくれた。実際、斜面のいたるところがイノシシに掘り返されていた。九州には熊がいないことが、せめてもの救いだった。
気温も湿度も高い昼下がりに、私たちは大汗をかきながら足下の悪い山道をのぼっていった。正味二十分弱の道行きだが、日ごろの運動不足も祟って、私はほうほうの体だった。歩きはじめて三分で、もう冷たいビールが飲みたくなった。
