「誰だこの汚い女は」「下品な女をテレビに出すな」etc.……。時に下ネタも辞さない久本雅美の芸風は、世間の激しいバッシングに遭いながら、しかし一方でテレビで見ない日はない勢いでバラエティを席巻していった。忙しくなればなるほど、稽古から遠ざかっていく日々。そんな久本雅美を再び舞台へ帰らせたのも、やはり「舞台」だった。芸歴45年は「まだまだ通過点」と話す彼女を突き動かし続ける「原動力」について聞いた。


――テレビの仕事が忙しくなって、ホームである「舞台」との関わりも変わってきましたか?

久本 そうですね。忙しくなると、当然ですが稽古に行く時間もなくなってきました。うちの劇団(ワハハ本舗)は自分で台本を考えなきゃいけないんです。自分でアイデアを出して作り上げていかなきゃいけない。

 もちろん喰始(たべ はじめ。『ワハハ本舗』主宰)が全体的なアイデアを出すんですけど、私とか柴田(理恵)さんなんかは「何やりたい? どんなことやりたい?」「じゃあこうやってみよう」と意見を出しながら、最終的に喰さんが「あ、それはいいね」とか「こうしたら?」と詰めていく。そういう時間もだんだんなくなってきちゃった。

 もちろん劇団ですからダンスもあれば全員でのパフォーマンスもある。なかなか自分がそこに100%の稽古時間を捧げられなくて、初日になっても「もうちょっとここをこうしなきゃいけないのに……」と自分の中で納得できないことも増えてきたんですね。

――なるほど……。

久本 やっぱり「マチャミはテレビも面白いけど舞台も面白いね」って言われたいじゃないですか。それなのに今の自分の舞台は、全然足りてないな。だったら現状ありがたいことにテレビからお仕事いただけてるから、こっちに専念しようかな。テレビって結局「旬」だから、また新しい人たちが次々にくるから、絶対に落ち着く時がくると。その落ち着いた時にまた舞台に戻れればいいやって。

 それで「しばらく舞台を休もうかな」と思っていた時に、たまたま若手の公演があったんです。仕事が早く終わったので、それを観に行ったんですよ。

 そこは80人で満杯くらいの小さい劇場で、でも若手は本当に全力で笑わせようとしていました。不器用なんだけど、一生懸命頑張って、汗を流して。その姿を2階から見ていたんですけど、感動しちゃって。涙が止まらなくなった。

 「ああ、そうだよな」って。私が東京に出てきたのは、笑いの舞台がやりたかったからだった。それを忘れてたじゃんって。舞台に100%注げないことを忙しいからって言い訳して、テレビのほうに逃げていたなと気づきました。その瞬間に「もう両方やろう」「テレビも舞台も」と決めました。

 その若手の舞台が終わってから楽屋に行って「めちゃくちゃ良かったよ!」って言ったら、演出家の喰始が言ったんです。「みんな~久本帰ってきたよ~」って。

――おお!

久本 誰にも何も言ってなかったのに、私の気持ちが揺れてること、気づいてたんですね。その時から、どんなことがあっても私は舞台とテレビの両輪でやっていこうと決めました。それがターニングポイントではありましたね。

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