映画『オアシス』で監督デビューを果たす岩屋拓郎。数々の監督から愛される助監督として知られる彼が、清水尋也との友情から実現した本作の製作について語ってくれました。


自動車会社から転職

――幼い頃の夢は?

 映画を作る人になるか、クルマを作る人になりたかったです。映画に興味をもったのは、物心ついたときから、おじいちゃんに映画館によく連れていかれた影響ですね。

 でも、まだ十歳ぐらいなのに『ポケモン』や『とっとこハム太郎』といった子ども向けじゃなくて、『助太刀屋助六』や『隠し剣 鬼の爪』といった日本の時代劇や大人向けの映画しか観させてもらえない。あとは『トリプルX』や『バッドボーイズ2バッド』といったハリウッドのド派手アクション。クルマ作りもおじいちゃんが買った雑誌をよく見ていた影響からです。

――そこから、映画監督を目指すことになったきっかけは?

 映画の作り方がぜんぜん分からなかったこともあり、工業高校を卒業した後に、三菱自動車に入社して、岡崎にある工場で働いていました。そのうちに「今度は映画をやりたい!」と気持ちが悶々と出てきて、『チェイサー』『哀しき獣』のナ・ホンジン監督の映画を観たときの衝撃に背中を押されました。

 最初は東京の映画学校に行こうと思っていたのですが、そのために貯めていたお金で、「人生経験を積んだ方が面白い」という発想になり、3~4ヶ月間インドでバックパッカーをやっていました。その後、いろいろあって、23歳のときに東京に出てきました。

――それまで未経験のなか、最初に現場スタッフとして就いた作品は?

 いろんな会社に「雇ってください」と連絡した中で、製作会社ジャンゴフィルムのプロデューサー、深津さんだけが話を聞いてくれたんです。それで、ドラマ「東京ヴァンパイアホテル」の制作進行に入れてもらえることになりました。

 この後に、三池崇史監督の『ラプラスの魔女』の助監督見習いとして入れてもらい、そこからいろんな監督の助監督に就くことになりました。

2024.11.15(金)
文=くれい響
写真=平松市聖