「国宝級の横顔」と呼び声も高い2.5次元俳優、阿部快征。出演映画『きみといた世界』の公開を控えた彼に、大きな転機となった「黒子のバスケ」など、これまでのキャリアを振り返ってもらいました。


ジュノンボーイへの意外すぎる応募動機

――小学生の頃から、野球をやられていた阿部さんの幼い頃の夢は?

 小学生のときに軟式ではなく、硬式のボールを使うリトルリーグに入って、本格的に野球をやっていました。それで、中学に入ってから軟式野球をやり始めて、少しだけプロ野球選手になりたいと思っていたのですが、肘を痛めてしまい、本格的にできなくなってしまったんです。

 その後、親がホテルに入っている中華の料理人だったこともあり、高校生のときは調理師免許を取って、料理人になろうと、飲食店でバイトしていました。その後、建築関係や公務員、美容師にもなりたいと思っていましたが、「第26回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に参加して、フォトジェニック賞をいただいたことで、また考えが変わりました。

――ちなみに、「ジュノンボーイ」に応募されたきっかけは?

 僕の近くの高校に、ムーディ勝山さんが来られることを耳にして、「僕らの学校でもお笑い芸人さん呼びたいよね!」と、同級生の何人かでジュノンボーイに応募したのがきっかけです。

 「僕らの誰かが芸能界に入って、交渉することで、芸人さんを文化祭に呼ぶことができるんじゃないか?」という計画だったんです。最終的には、僕がフォトジェニック賞に選ばれ、高校2年のときに事務所に入ることもできたのですが、世の中、そんなに甘いものではありませんでした。

――そこから俳優を目指されるきっかけは?

 地元・宮城の高校に通っていたので、在学中はそれほど活動していませんでしたし、高校を卒業した頃も、まだまだ甘い考えだったと思います。

 その後、2015年ぐらいから舞台を2、3本経験させてもらったんです。右も左も分からないなか、ちょっと痛い目を見て、お芝居の難しさを知り、「どうしたらいいんだ?」「もっと頑張らなきゃいけない!」と思ったことで、気持ちが変わりました。

 それで「マフィアモーレ☆」という舞台に立ったときに、いろんな先輩を見るようになり、その後の「黒子のバスケ」でいろいろとアドバイスをいただきました。

2024.12.13(金)
文=くれい響
撮影=深野未季