過酷な減量と戦った、初主演ドラマ
――『あずみ』前後の02年から03年にかけて「ごくせん(第1シリーズ)」や「ウォーターボーイズ」「ヤンキー母校に帰る」など、学園ドラマに出演していますが、同世代の俳優との共演を通じて、ライバル意識みたいなものは生まれましたか?
「このなかから、自分は有名になってやる」というような気持ちはなかったですね。それよりも、アクション映画に出たいという気持ちが強かった。僕、ジェット・リーさんのアクションが好きなんですよ。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地大乱』でジェットがション・シンシンやドニー・イェンと戦うシーンは特に好きで、2週間前にもDVDで見たぐらいなんですよ。
――また、初の主演ドラマとなった「ホーリーランド」は、偶然にも『あずみ2 Death or Love』の金子修介監督ですよね?
これも運命を感じた作品ですね。高校1年か2年のときに、友達から佑磨が好きそうなマンガがある、と原作を勧められていたんです。1話だけ読んだときに、ドラマ性を感じて、実写化される予感がしたんですよ。その後、全巻持つほどファンになったんですが、『あずみ2』の撮影の合間に、金子監督と「ホーリーランド」の話になったんです。これはきっと金子監督が監督するんだと思い、売り込んだんですよ。そのときは、緑川ショウゴという、蹴りが得意な空手の達人を演りたかったんですが、監督からもし演じるなら、主人公の神代ユウをやることを勧められました。その後、うれしいことに正式にオファーしてもらったんです。
――「ホーリーランド」は石垣さんのお好きな格闘技を扱ったドラマですが、ユウ役を演じるには、減量という高いハードルがありましたよね?
原作の森恒二先生の持つイメージに近づけるための大減量ですね(笑)。2カ月半ぐらいで10キロ近く落としました。しかも、撮影中は1週間で2話分撮って、次の1週間で殺陣の稽古というスケジュールを繰り返していたんですが、減量から集中力がなくなってイライラするし、3カ月間キープするのが大変でしたね。途中で足が上がらなくなったりと、とにかく大変でしたが、共演者のみんなも含めて、熱い想いで作られた作品になったと思いますね。
2012.04.06(金)
text:Hibiki Kurei
photographs:Miki Fukano