「親」をどう描くか
綿矢: 『光のとこにいてね』には2種類の毒親が出てきますが、特に結珠のお母さんが強烈でした。教育ママでありながら陰で悪いことをしていて、それをあえて同性の自分の子どもに見せつけている。最後の方で、結珠が母親にささやかな反撃をしますが、あの塩梅が絶妙だなと思ったんです。もっとボコボコにしてやりたいとか、そんな気持ちにはなりませんでしたか?
一穂: あまりならなかったですね。お仕置きの落としどころは悩みましたが、あれは結珠が自分の心にけりをつけるための儀式のようなものだと考えました。行動したという事実が自分の中に残ればそれで十分、くらいの。
綿矢: 果遠と一緒にやった、というのも大きいんでしょうね。
一穂: そうですね。やっぱり結珠ひとりではできなかったと思います。
綿矢: 私も、『激しく煌めく短い命』で久乃が京都の実家で親と対決する場面を書いたときは苦労しました。和解するのか、それとも対立させたままにするのか。そもそも一穂さんは、なぜこういう親にしようと思ったんですか? お父さんよりお母さんの方が印象的ですよね。
一穂: どうしても同性の親の方に視点が行ってしまいますね。父親は今でもよくわからない生き物なので(笑)。久乃のお母さんは娘にシンパシーを抱いていて、自分にも同じものを返してほしいという思いがあったと思うんです。でも娘は自分を捨てて東京へ行ってしまった。一方で、綸の家は、周りから心ないことを言われても、すごく温かい家庭として描かれています。だからこそ、綸には久乃の抱える家族の苦しみは本当の意味では分からないんじゃないかなって感じました。
綿矢: そっか、綸は家庭不和が分からないんですね……。
